穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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アメリカ三題 ―楚人冠の新聞記事から―

 

 思わず声を立てて笑った。


 楚人冠全集第十四巻、『新聞記事回顧』を読み進めていたときである。


 頁を捲った私の眼に、このような記事が飛び込んで来たのだ。

 


 嘗てパリの労働者間に酒類に代へて石油飲用の流行したることあり。又露国が戦時禁酒を行へる当時、酒に窮してオーデコロン、オーデキニンを飲用したるものありと聞く。

 

 

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 大正八年三月二十五日の社説に書かれた文らしい。


 大正八年といえば西暦にして1919年、およそ101年前である。


 なんとこんな昔から、ロシア人のアル中ぶりが知れ渡っておったとは――。


 つい先日もロシアでは、酔いを得ようと手指消毒液を呑み干して、七人が死亡したばかりである。


 2016年には入浴剤を喉の奥に流し込み、百人超が中毒症状、七十八人が死亡した。


 旧ソ連時代、車輌用の不凍液を蒸留してウォッカ代わりに酌み交わしたという心温まるエピソードも見逃すわけにはいかないだろう。


 まこと、彼らは筋金入りだ。


 楚人冠は上記の奇話を、目下米国で制定されつつある禁酒法批判のために引いている。

 


 吾人が最近接手せる報道に依れば、去る二月六日三万人より成れる建築労働組合代表者は「ビールを得ずんば働かず」との決議をなし、ニューヨーク及び其の附近の労働大会に提出して、七月一日戦時禁酒法励行と同時に大同盟罷工を開始せん計画中なりとあり。(18頁)

 

 

5 Prohibition Disposal(9)

 (Wikipediaより、下水道に廃棄される密造酒)

 


 アメリカ人の酒に対する執着たるや甘くない、ロシア人と比べても簡単に引けは取らないほどだと警告し、にも拘らず強いて横車を押そうとすれば、すなわち「窮すれば濫するは人の自然」で、結局のところ酒より有害な代用品を用いる輩が急増し、また一方ではムーンシャインと呼ばれる密造酒の需要が甚だしく拡大し、その元締めたる暗黒街の住人どもが断然威を逞しくするようになり、社会に対して計り知れない害毒を呼び込むことになるだろう、と。


 まるで十年後のアメリカを見てきたように。いちいち精確な指摘を行っている。

 


 米国には婦人と偏僻なる宗教家が往々民情を無視して枯淡なる清教的法律の作成に努力し、その結果意外の悪結果を醸成して世の物笑ひとなることあり。(19頁)

 


 これなどは昨今の愚劣極まるポリコレムードにもぴたりと嵌まる、名分析であったろう。


 アメリカの病根をえぐり抜くこと、達人の手際としか言いようがない。


 合衆国に関しては、楚人冠はこんな記事も書いている。

 


 米国の大西洋岸では目下イルカの猟期といふので、漁夫は申すに及ばず、全国の時計屋が少からず気を揉んで居る。時計屋が気を揉むのは可笑しいやうだが、時計に使ふ最上の油はイルカから取れるので、イルカ以外にこんな良い油は取れないとなって居る。(301頁)

 

 

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 化学技術が未発達な時代、油や香料は自然にこれを仰ぐしかなく、たとえばペンギンなどは何百万羽と蒸し殺されて、燈油や石鹸あたりの品に生まれ変わったものだった。


 そういう意味では石油化学の発達ほど動物の命を救った研究もなく、功績偉大とするに足る。


 イルカ猟の記事、更に続いて、

 


 それもイルカの全身にあるのではなく僅に下顎にあるりである。普通の脂肪あぶらなら大抵のイルカ一尾に一斗五升位はあるが、下顎は平均一升二三合しかない。随って価格も普通の脂肪は一ガロン(二升五合)七八十銭位のものだが、下顎のは二十円もする。(同上)

 


 時計が高価なのも納得のゆく下りであろう。

 

 

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 ハワイで弁護士をやっているヘンリー・ホームスなる白人と、晩餐を共にしたこともある。これは横浜きっての古美術商、野村洋三の手引きによって実現した席だった。


 その間じゅう、ホームスは日本人が西洋の文物を取り入れることにばかり熱心で、従来の美風を置き捨てにして朽ちさせて、しかも何ら顧みるところなきを痛嘆し、

 


れいせば貧に処して悠然として安んずる所あるが如きは日本の貧民の美所なり。西洋にて金のなき者といへば年が年中せかせかとして蚤取眼に世を渉猟あさり廻り、あはよくば泥棒でもし兼ねまじき者許りにて、日本とは大変な相違なり。近頃日本人が此の美所を捨てゝ金儲けにとて海外に迄出かけ其の結果徒に欧米奢侈の風を輸入し来るが如きは余日本の為に取らず(289~290頁)

 


 その語気の激しさたるや、ほとんど安政時代の攘夷志士の怨念でも憑依したかと、聴き役の日本人二人の方が不安に駆られるほどだった。


「しかし、なんだな」


 たまりかねて野村洋三が口を挟んだ。


「カリフォルニア辺りの日本人は、却って国俗を墨守して全然改むるを知らざるが故に不人気となり、とうとう今日の排日騒ぎに至ったではないか」


 こうまぜっ返すと、途端にホームスは怒気を発して、

 


「日本人がカリフォルニア辺にて人望を博せんと欲せば、須く酒を飲み色を漁し賭博を打つべし、得る所の金は悉く費ひ果して一文も他日の為に貯へず、半銭も本国に持ち帰ることなくば、夫こそ大変な人望を得らるべし、斯く迄に我を棄て他を学ぶの要あらんや(290頁)

 


 と切り返したから堪らない。


(なるほど弁護士なだけはある)


 法廷で鍛えられた賜物か、と。


 その論鋒の鋭さに、楚人冠は舌を巻かずにいられなかった。

 

 

Aliiolani Hale 2011 by D Ramey Logan

 (Wikipediaより、ハワイ州最高裁判所があるアリイオラニ・ハレ)

 


 この会食の風景が新聞に掲載されたのは、明治四十四年十二月五日のこと。


 グレート・ホワイト・フリートが来航してから、およそ三年後の日であった。

 

 

知っておきたい「酒」の世界史 (角川ソフィア文庫)
 

 

 

 


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