「ウチのアヘンは
そのトルコ人の自慢話がまんざら誇張でもないことを、大阪朝日の特派員・高橋増太郎は知っていた。
彼が派遣されたこの当時、トルコ共和国は国際連盟に未加入な立場を最大限活用し、アヘンの輸出に極めて積極的な状態にある。1927年だけでも三十五万七千六百キログラムを生産し、その輸出額は千四十四万リラに上ったというから大したものだ。
建国間もないトルコにとって、これほど好都合な「特産品」もなかったろう。
彼らはまた、自分たちの商品が如何に高品質を保っているかを科学的に立証しようとこころみた。各国のアヘンを分析し、そのモルヒネ含有率を調査して、白昼堂々公然と、スミルナ商業会議所の名の下に発表したのだ。
(スミルナの街。現在では「イズミル」の名で呼ばれる)
それによると、
まずはトルコが10~14%、
次にユーゴスラビアが8~14.5%、
ペルシャの8~10%が後に続き、
エジプトが6~8.5%を示せば、
インドの6~7%となり、
最後に支那の3~7%が来るといった寸法である。
最大値こそユーゴスラビアに一歩譲るが、安定性ではトルコが大きくリードしている。なるほど胸を張りたくなるのも当然だろう。
ところで面白いことは、このトルコアヘンがブランドとして確立するに、大きく寄与した日本人がいたことだ。
その人物は、大阪から来た。
堺商人である。
目という稀有な姓――これ一文字で「さかん」と読む――の持ち主で、トルコ政府から許可を受け、イスタンブールに拠点を置き、精製業を専らとした。
むろん、アヘンの、である。
(夕暮れのイスタンブール)
芥子坊主から採られた液は彼の技術で不純物を除去されて、色鮮やかなアヘンに変身、スイス、フランス、ドイツ等の製薬会社へ大いに売り込んでいたらしい。
が、その
「なぜトルコがこれほど質のいいアヘンを作れる」
という疑問が列国間で持ち上がり、内偵をすすめた結果、裏に日本人が居ることを、おそらくは英国あたりが嗅ぎつけた。
彼らはさっそく日本政府に苦情をねじ込み、吃驚した日本政府は大慌てで目氏に圧力をかけ、半ば強制的にトルコから退去させてしまったのである。
このあたりの顛末を、
「相当に金儲けが出来たものか一年程前権利をドイツ人に譲渡して故国に引揚げたが、惜しい事業であった」
と、高橋も痛惜を籠めて書いている(『国富増進と産業の発展』)。
(トルコの市場)
それにしても、
ジャワ島でニャミル椰子園を経営していた和田民治といい、
アフガニスタン軍務省に招かれて政府施設の建築設計に携わった近藤正造技師といい、
そして今回の目氏といい。
日本人の活動は私の想像を遥かに超えて幅広く且つめざましく、彼らの足跡を発見するたび、こんな古くからこんなところまでよくもまあ、と、いちいち新鮮な驚きに包まれずにはいられない。
つくづく以って、わが国の歴史は豊潤だ。
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