穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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植民地時代のジャワの習俗 ―出産・育児篇―

 

 和田民治という男がいた。


 明治十九年生まれというから、ちょうどノルマントン号事件が勃発した年である。


 三十路を越えてほどもなく、蘭印――オランダ領東インドに渡った。


 以後、およそ二十年もの長きに亘り、彼の地で開墾・農園経営に携わり続けた人物である。

 

 

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(和田民治氏)

 


 千古斧鉞を加えざる原生林を切り拓き、東ジャワ州ブリタール市南方に彼が築いた農園は、名をニャミル椰子園と称し、その外郭を概説すると、


 2100ヘクタールの面積――東京ドーム450個分に相当――を有し、
 2000人近くのジャワ人を労働者として定住せしめ、
 600頭の牛を耕耘用に飼育しており、
 主要作物は椰子とカポック綿であり、前者だけでもその樹の数は、ゆうに十万本を超える等、


 どこから見ても堂々たる大農場の構えであった。


 そんな彼のによる本が、ありきたりな旅行記と一線を画す仕上がりなのは全く以って当然だろう。昭和十六年発行、『蘭印生活二十年』は、実にジャワ島の生活事情を内側から腑分けした名著である。

 

 

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(椰子園の景色)

 


 これまで聞いたこともなかった現地ジャワ人の迷信奇習も数多く織り込まれたものであり、私の知識欲を満足させてくれるところ大だった。


 中でもとりわけ驚異の眼を見張らざるを得なかったのは、やはり出産に関することどもだろう。おそるべきことにジャワ人は、後産が済むと今度は産婦を腹這いにさせ、その腰車を産婆役が、情け容赦なく体重を掛けぐんぐん踏みつけまくるのである。


 ――こうすることで悪血を出し切ってしまうのだ。


 とは言うものの、その光景の無惨さときたらどうであろう。


 悪血どころか魂まで抜けてしまいそうな空恐ろしさが付き纏う。


 想像するだに下腹部に鈍痛を覚えるが、しかし未だ終わりではない。「充分に悪血を出し切った」と判断されると、今度は産婦を庭先に引き出し、腰布一枚というあられもないその姿めがけて、あらかじめ用意しておいたバケツの水を、何杯も何杯もぶっかけるのだ。

 


 沢山な血液を失った上、頭から冷水を浴せられてはたまったものではあるまい。
 顔は真っ蒼になり、唇は紫色に変じ、歯の根も合はぬばかりに、がたがた慄へて居る。
 その後は、毎日、朝、昼、晩と三度宛、この冷水浴をやる。私の家内はジャワ人のお産が余りに荒療治なのに、すっかり胆をつぶし、わたし達なら今頃はお葬式です、大丈夫でせうか、産褥熱なぞ起しはすまいか、と迚も心配する。(94頁)

 

 

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(収穫されたヤシの実)

 


 一方、誕生した子供の方も、そう時を措かず母に劣らぬ過酷な試練に晒される。


 生後一ヶ月といえば、まだまだ母乳の世話になるのがごく自然な段階だろう。離乳食すら遥かに遠い。それが生物的な正しさだ。


 ところがジャワ人は、いったい何をとち狂ったか、このあたりからもう早速、米とバナナを練り合わせた物体を赤子の口に押し込むのである。

 


 御飯を素焼きの皿の中に入れ、これを小さな擂粉木で擂り潰し、バナナを加へて練り、そのドロドロになったものを、子供の口一杯に押し込むのである。口からはみ出せば指で押し込む。呑み込めばまた詰め込む。
 子供は目を白黒させ、今にも死ぬかと思ふばかりである。時々コクリコクリと音を立てゝ苦しんだり、両手を動かし、力一杯足を跳ね、真赤な顔をして、息を吐かうと悶繰く様は、可愛想で見て居られない。少し口の物が減ると泣き叫ぶが、そこへ又押し込まれるから咽び苦しむ。(96頁)

 


(なんということだ)


 こうなるともう、育児なのか虐待なのか見分けがつかなくなってくる。


 郷に入っては郷に従えの格言通り、生活習慣に関しては極力口を挟むのを避けた和田民治も、流石にこればっかりはたまりかね、苦言を呈さずにはいられなかった。なにもこんな小さな赤子に一日三度、死ぬか生きるかの地獄の一丁目を味わわせずとも、お乳さえ与えておけばよいではないか――。


 ところが当のジャワ人ときたら、


「しかし旦那、こうして育てないと強くならないもンで」


 との一点張りで、てんで聞く耳を持たないのである。

 

 

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(ヤシの実の収穫)

 


 彼ら自身、そのようにして育てられ、アメーバ赤痢マラリア原虫のうようよする環境下でも今日まで無事に生きて来られたのはそのお蔭だと信じ切っているために、これはちょっと為す術がない。


 これに比すれば、奇妙といってもせいぜいが父親に臼を担がせ家の周囲を廻らせる程度の日本人の性質は、なんと柔和なことだろう。国外に出てこそ祖国の姿がよく分かるとは、こういう感覚ではなかろうか。

 

 

 

 

 


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