失態である。
前々から予定されていた明治神宮の鎮座祭――竣工したての
五十万もの参拝客が文字通り殺到した所為でもあろうが、これほど不面目なことはない。
大正九年十一月一日のことだった。
当時に於いて明治大帝が如何に崇敬の的だったかは、これはちょっと筆にも舌にも尽くせない。崩御のその日、二重橋に駆けつけた楚人冠の記録から、わずかにその一端を窺い知れる。
嗚呼其の時の光景、悲惨といはんも足らず、凄愴と評せんも古きを覚ゆ。あの広い石原に集ったあの大勢の人々が左ながら言ひ合せたやうに急においおいと泣き出した。男は流石に多く啜り泣き咽び泣きに過ぎなかったが、女に至っては老若共にわいわいと聲を放って泣き立てる。其の聲は彼処にも此処にも其処等一面に起って、折ふし雲に入った月影黒き此の広場に物凄いとも不気味なとも言はうやうはなかった。(中略)之ほどの夥しい人の之ほどに悲嘆の涙に暮るゝ所は未だ曾て見たことがない。(『新聞記事回顧』250頁)
「日本人がここまでとは思わなかった」
感動に頬を上気させ、興奮のあまり早口でまくし立てたのは、旅行者と思しきドイツ人の一青年。これほど崇高な情景を、自分は他国で見たことがない。斯かる美しい心掛けは日本に限る。――…
日本軍は勤皇愛国てふ宗教の溺惑者――迷信者である、そこから決死的覚悟が生まれる。
後年、青島はビスマルク砲台から発見された、独軍将校の手帳にも何処か通ずる評価であろう。
まあ、それはいい。
兎にも角にも、明治天皇は愛されていた。
死んで身代わりになれるなら、いくらでもこの命を捧げたいと念願する日本人が、それこそごまんと居たほどに。
――斯かる大帝を祀る社の。
開設初日に表参道が陥没するていたらく。輿論は一瞬で沸騰した。
行政の無能を罵る声が国中から殺到し、それに押される格好で造営局が調査を開始。間を置かずして、驚くべき事実が明るみに出た。
本来の計画と比較して、道路の幅は二間も狭いし、敷くべき砂利も圧倒的に足りてない。どうも東京市の道路課長が請負業者より収賄し、手抜き工事を黙認したのがすべての元凶なようである。
この時点で、事態は刑事問題へと移行した。
大衆の怒りのボルテージも、刻一刻と高まっていった。
叩いてみれば出るわ出るわ、ホコリの数々、否いっそ山。道路工事にまつわる東京市の涜職はとっくの昔に常習化しきったものであり、現役の市会議員からも収監者が続出し、そのうち芋蔓式にガス問題まで掘り起こされるに至っては、もはや滑稽の観すら帯びる。
最終的に百人超がぶち込まれ、そのうち市会議員が十人以上も交じっていたから、
「これより先、東京市会は監獄で開け」
と、強烈な
村上浪六や生方敏郎といった大衆作家が、その急先鋒であったろう。
彼らの小説を通読すると、よく政治家の生態を説明するに、
「砂利を喰ったりガス管を齧ったり」
という文句が見られる。だから連中、胃腸は人並み外れて剛健なのだと。
もっとも現代に生きる私としては何のことだかよく分からず、気になってあれこれ突っつき廻して調べた結果、だいたい上記の通りのことが判明した。
折角なので覚え書きとして残しておく。これで一層、作品の世界観に没頭することが出来そうだ。
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