記録的豪雨を観測した翌日だ。
何か、雨にまつわる記事でも書こう。
そう思ったとき、真っ先に浮かんだのが昭和天皇の竜顔だった。
陛下がまだ御幼年――皇太子殿下であらせられた時分の話だ。ご見学のため、佐渡ヶ島を訪問する機会があった。
現地の人々はこの光栄に感激し、今か今かと御着の日を待ちわびて、いざやその日を迎えてみれば、あにはからんや天候は生憎の大雨である。小止みになる気配すら見せず、情け知らずに降りしきる。
この事態を受け、陛下の馬車には深く幌が垂れ下げられた。現今の車輌ほどではないが、防水能力はかなりのものだ。玉体を雨に曝すなど、間違っても許されぬ。当然の措置といっていい。
ところが殿下はこれを一目ご覧になるや、
「幌を取り去るように」
意外千万な仰せを出だされたからたまらない。お付きの者が慌ててとりなし、
「おそれながらこの大雨でございますから」
と言い募ったが、殿下の視線は建物の外、せめて一目でも殿下の姿を拝さんと、大雨を冒して集まった道端の人垣に対して向けられ、
「あの道に並んでいる沢山の人々は、大雨にも拘らず余を出迎えに来ているのではないか。幌をかけたために、余を見ることができなかったら、さぞ残念に思うだろう。余は雨に濡れることは少しも厭わないから」
あくまで御意を曲げない形勢を示されたため、ついにお付きの人々も屈し、その通りの措置が講じられた。
前代未聞、雨の中を幌もかけずに進み行く皇太子の馬車である。
民草が恐懼感激したことは言うまでもない。
この君のために死にたいと念願した者とて、少なからずあったろう。
思えばまったく、この君だからこそなのだ。このお人柄であればこそ、敗戦直後の昭和二十一年から二十九年にかけての全国巡幸も出来たのだろう。欧州大戦敗北の折、早々とオランダに亡命したヴィルヘルム二世との懸隔たるや凄まじいばかりのものがある。
今や上皇となられた平成天皇にも、間違いなくこの仁慈の気質は受け継がれていた。
電車に乗っての移動中、ほとんど座席にすわらずに、線路沿いの人々に向かって手を振り続けていたことからも、それは明白であるだろう。
願わくば、この精神美がいつまでも受け継がれ続けんことを。
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