目下開催中の第60回神田古本まつりに於いて、良書を得た。
昭和九年刊行、羽太鋭治著、『浮世秘帖』なる本である。
本の概要や著者の経歴などはまた別の機会に譲るとして、今回特筆大書しておきたいのは、この中に掲載されている「いろは歌」についてこそ。
明治二十年前後、大日本教育会の稲葉厵隣によって作られたという「大日本国体いろは歌」なるこの歌が、私一人の胸奥に秘めておくのはいっそ罪に思えるほどに秀逸な出来であったため、ここに引用して僅かなりとも世間の耳目に晒したいのだ。
い いよいよ
ろ 六合てらさぬくまもなく
は 萬国こもごも来朝す
に 人情あつく土地肥て
ほ 穂に出る稲の瑞穂国
へ 偏なく党なく王道の
と 徳化四海にみちみちて
ち 千代に八千代をかさねても
り りりしくゆかし大内に
ぬ
る 類は五洲に絶えてなく
を 治まる御代の根源は
わ 我が皇統の綿々と
か かはらず続く一系統
よ 世にも稀なる国柄に
た 大義名分定まれる
れ 例や証拠を挙げんには
そ その君臣の別を見よ
つ 鶴の鶏群に立つ如く
ね ねらひうかがふものもなく
な 内憂外患あるときは
ら 老幼男女の区別なく
む 寧ろ身命擲つも
う 憂きとはせざるのみならず
ゐ 因循姑息のさまもなく
の のちの栄誉を重んじて
お 己れ人には劣らじと
く 活発の挙動をなす
や 八咫鏡は智となして
ま
け 剣はすなはち勇ぞかし
ふ 不朽の神徳あらわせる
こ これこの三種の神器こそ
え 夷に決してあらざらん
て 天皇陛下のその徳に
あ 青き
さ 産を励みて分をまもり
き 業のひまなる折々の
ゆ 夕な朝なの楽しみに
め 眼にはながむる桜花
み 耳にはなぐさむ大和琴
し 真に楽しき風景に
ゑ 酔いて吟じて賞讃す
ひ 琵琶の湖不二の山
も 素より尊き我国は
せ 聖賢代々統を継ぎ
す すめらみことは萬々歳
2019年10月29日現在、稲葉厵隣の名を検索エンジンに叩き込んでもそれらしき人物はヒットしない。
滔々たる歴史の大河に呑み込まれ、藻屑と消えた名なのだろう。
これだけの歌心を示しておきながら、なんとも惜しいことである。次に掲載する「子を思ふ親の
い いづくの親の心根も
ろ 魯となく智となくみな同じ
は 初めて赤子の生るれば
に 日夜心にいたはりて
ほ 骨の折れるもいとひなく
へ 平生母は児が泣けば
と 取るものさへもとり敢ず
ち 乳をのませつ慰めつ
り 両親なにからなにまでも
ぬ 抜け目落度は更になく
る 縷々と睦言くりかへし
を 折には手づから児守なし
わ 我身のことはうちわすれ
か 可愛やいとしと思ふ児の
よ よろこぶ顔を楽しみに
た 体をば育てるのみならず
れ 礼儀や作法や身のしつけ
そ 疎略のことは戒めて
つ 常に智恵つく事柄を
ね 寝ても起きてもをしへつつ
な ならわしまでも気を付て
ら 楽々暮す日とてなく
む 無我夢中のをさなごが
う 飢えに寒さに泣き
ゐ
の のみくひ起き臥すその世話は
お 親の丹誠いかばかり
く 苦労も子の為め先越して
や やみはせぬかと案じつつ
ま まめのみいのる親心
け
ふ 父母の膝下に可愛児が
こ 心地もやげに打笑ひ
え えんもゆかりも知り顔に
て 手なづき慕ふ愛らしさ
あ 嗚呼世に楽しみ数あれど
さ さばりか楽しきものならん
き 気儘に遊ぶ親のもと
ゆ 夢にもわすれぬ我が子には
め 面倒も難儀も苦になさず
み 身にはかへても心配し
し 真に不為と見るときは
ゑ 会得するまで異見なし
ひ 人となしたるおやの恩
も 若しも子として報ひずば
せ 世間に不孝の名や立たん
す 即ち禽獣におとるらん
古本まつりは11月4日まで開かれている。
もう一度か二度は、訪れる機会があるだろう。今度はどんな本と出逢えるか、この上なく楽しみだ。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓