穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

徳川幕府と大英帝国 ―前編―

 

 1611年4月、イギリスはテムズ川の河口から三隻の船が外洋へと旅立った。


 船団を率いるはジョン・セーリス。当時の国王・ジェームズ一世の国書をあずかり、遥か極東の島国に届け、以って通商を開くことが彼に与えられた使命であった。


 それからおよそ一年半後の1612年10月、一行はジャワのバンタムに到着。現在ではバンテンの名で知られるジャワ島西部のこの土地に、1609年イギリスは商館を建てている。


 発足から未だ三年程度のこの商館にセーリスは身を寄せ、そして思いもかけない相手からの手紙を受けた。

 


「To my unknown friends and countrymen」――我が同郷の未知なる友へ。

 


 宛名にはそう記されていた。


 差出人の名は、ウィリアム・アダムス


 実に12年以上も前に、彼がこれから向かわんとしている極東の国――日本国に漂着し、以来時の権力者たる徳川家康から重く用いられ続けているイギリス人に相違なかった。

 

 

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 コーエーテクモのゲームソフト、『仁王』の主人公のモデルともなったこの人物が日本の土を踏んだのは、関ヶ原の戦いを半年後に控えた1600年4月29日のこと。

 彼の乗ったリーフデ号はもともと五隻からなる船団の一部だったが、惨憺を極めた航海の途上、ある船はスペインに拿捕され、ある船は暴風雨で沈没し、結局出航の目的たる「極東行」を達成できたのはこのリーフデ号のみであった。


 そのリーフデ号も、飢餓やら疫病やら脱走やらで人員を損耗すること夥しく、出航時には110人を数えた船員は、既に24人にまで減少していた。


 更にその24人も決して無事とは言い難く、栄養不足や病によって半分以上が衰弱しきった状態であり、まともに歩行できるのはせいぜい10人に満たなかったから凄まじい。
 この時代の航海が如何に命懸けの冒険か、おのずと察せようではないか。

 


 リーフデ号なる異国船、豊後の黒島に漂着す――。

 

 

Kuroshima of Oita

Wikipediaより、黒島)



 この報を大坂で受けた受けた家康は、兎にも角にも彼らを大坂へ護送させ、併せて船も堺へ廻航させることにした。


 同年5月30日、家康は初めてアダムスと顔を突き合わせている。


 このとき家康はアダムス以下リーフデ号の代表者たちに航海の経緯や諸外国の様相などを細かく訊ね、その問答が夜半にまで及んだというから、よほど興味を持ったのだろう。同様のことが、以後何回か繰り返された。


 大坂にて四十日ほどの間幽囚の身に甘んじなければならなかった一行だが、彼らに対して好意を抱いた家康の裁量によりやがて許され、更にまた家康からの命あって船を関東へ廻航させる運びとなる。この航海は逆風に見舞われたため想定よりも長期に及び、いざ関東へ着いたときには、上杉征伐の名目で軍を起こした家康が、既に江戸に来ていたという。


 海路よりも、陸路の方が早かったわけだ。


 そのまま江戸の地に於いて、アダムスは家康の覇権が関ヶ原の野で確定したことを知る。

 

 

Sekigaharascreen

 (Wikipediaより、関ヶ原合戦図屏風)

 


 この江戸滞在中、リーフデ号一行は船の修繕に精を出し、やがて満足な仕上がりに達すると見るや、帰国の旨を家康に願うが許されず。


 水とてとどめ過ぎれば腐るのか、船員の中にも目立って不満が募りつつあり、指揮系統がほとんど維持できなくなってきた。


 事ここに至って船長のヤコブ・クワッケルナックは仕方なく、船員を解隊して金子を分配、あとは各自自由に行動せよとはからっている。

 

 こうして「自由」になったウィリアム・アダムスを、家康は喜んで確保した。彼はそのまま幕府の外交顧問たる位置に納まり、使節との対面や交渉時に於ける通訳、はたまた伊豆の伊東の海岸近くに日本最初のドッグを設け、これまた日本で初めての西洋帆船を建造したりして日を過ごしている。


 江戸の市中に屋敷を貰い、「三浦按針」の日本名もすっかり舌に馴染んできた、そんな時だ。――祖国イギリスがインドネシアに商館を建てたという、驚くべき報せを受けたのは。

 

 

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 冒頭に於いても触れた、ジャワ島バンタムのアレである。アダムスはこの情報を、知人のオランダ商館員、ジャクス・スペックスから仕入れたという。


 アダムスの反応は機敏であった。自分の経歴、日本の国情、その他英国の来訪欲をそそるであろう言辞を厳選して配列し、一書を作成、これをなんとかバンタムの商館に届けようと八方手を尽したのである。


 結局この書は某オランダ人に託されて、まずパタニ王国へと運ばれ――マレー半島に当時栄えていた王国、マレー王朝で一番古いイスラム王朝としても有名――、その地に於いてイギリス船に交付され、漸くバンタムへと至る。


 長々と旅をしてきたこの書翰こそ、1612年にジョン・セーリスが受け取った、


 ――To my unknown friends and countrymen


 の手紙に他ならないというわけだ。

 

 実に歴史的な配達だった。

 

 

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