穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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共産主義者七変化

 

 1901年、日本最初の社会主義政党社会民主党幸徳秋水らの手によって組織され、当局から即座に禁止処分を食らった際の出来事だ。同じ社会主義者の某から、幸徳は奇妙な注意を受けた。


「君も頓馬なことをしたな。社会民主党などと名付ければ、禁止されることは初めから明らかだったではないか。何故に忠君愛国党と名付けなかったのだ」


 化けの皮をかぶって、当局が批難しにくいように擬装するべきだったというのである。


 戦術的には、某の意見こそ正当だろう。


 しかしながら「主義」を熱愛するあまり、ほとんど江戸時代鎖国体制下に於ける隠れキリシタンの殉教者が如き心理状態に至っている幸徳にとって、これほど不愉快な「忠告」はない。


 幸徳が某の言葉を冷厳と無視し、みずからの明け透けなやり口をついに曲げなかったことは、その後の彼の略歴を一瞥しただけでも十分理解できるだろう。

 


 某の戦術を全面的に取り入れた組織が出現したのは、大逆事件で幸徳が処刑されてから12年後の、1923年のことである。
 その組織の名を、大化新政協会といった。

 


 なんでもこの連中の主張に依れば、孝徳天皇大化の新政は、皇室を中心とする純然たる社会主義思想の実現であって、日本の根本的改造にはサンディカリズムもボルシェヴィズムも必要ない、ただこの大御心に「回帰」すればそれでよいと言うのである。


 山田上ノ山古墳――別名「うぐいすの陵」にお眠りあそばす孝徳帝も、さぞかし仰天なさったことに違いない。なんと、朕はそんなことをしていたのかと。

 

 

Yamada Uenoyama Kofun, haisho

Wikipediaより、山田上ノ山古墳) 

 


 更に彼らは一歩を進め、具体的政策として今度は桓武天皇を引き合いに出し、彼の在位中に発せられた「私に山林を占むるを禁ずるの勅」「貧富均済の勅」とを挙げている。


 要するに土地の国有化と、私有財産禁止を狙ったものに相違ない。なるほどうまく化かすものだ。アカの犬の群れの中にも、存外狐狸こりの類がちらほら交じっていたようである。
 

 

 

 

 


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