軍閥打倒・支那統一の方便として、孫逸仙は赤色ロシアと手を組んだ。
モスクワが、コミンテルンがこの繋がりにどれほど執心していたか。ものの数年を出でずして送られて来た「顧問」の数が物語る。
軍事、教育、政務等々、各方面に合わせて二百人超だ。二百名を凌駕する赤色工作員たちが専門分野に食い込んで、「改革」「指導」の美名の下に組織の仕組みを根っ子からアカく染色していった。
おそるべき作業といっていい。
甲斐あって、たちまち支那の天地には「兵匪」に加えて「工匪」なる、──資本家憎しに脳細胞を専有されて、本来の業務もそっちのけ、ただひたすらに暴力的な階級闘争を事とする、元労働者の現ロクデナシ、そういう類の獣類が跳梁跋扈を来すに至り、名状し難い混沌がますますひどく、目も当てられなくなってゆく。
唖然としたのは日本のアジア主義者たち、支那革命を長いこと後援してきた連中だ。
広東新聞社に対し労働者の団体がストを決行、待遇改善要求として突き付けたる内容が、しかしその実、会社利益の実に九割五分までを「我々に対し分配せよ」などという、到底実現不可能な無理難題であることを偵知するに及んでは、
──何やってんだあいつらは。
と、誰もが理解に苦しんだ。
最初に大きくふっかける交渉術の一環と敢えて解釈しようにも、度を失するは否めない。いわんや術策を弄すもクソもない、本気も本気、一切妥協の余地を許さず提示したるに於いてをや。
経営陣にしてみれば、硫酸を嚥下するよりも酷烈無惨な条件であり。会社は立ち行かなくなって、遂に廃業の憂き目に遭った。

勢力圏を拡大するたび、──新占領地の確保ごと、そこの資本家地主等、いわゆる有産階級に向け突き付けた「三三四政策」もずいぶん人目をそばだてた。
ざっくり言えば彼らの私有財産の三割をまず政府の為に、
もう三割を革命軍に献納せしめ、
後に残った四割だけはそのまま私有を
だからと言って反抗したり出し渋ったり、後々不正が


(viprpg『桜の根本に埋まるわてり』より)
コミンテルンに煽動された支那人労働階級は、そのあたりの呼吸に対しごく忠実に振る舞ったまでのことである。
ところが当時の日本人はまだ色々と
だから多くの碩学が、生真面目にも身をふるわせてアカの邪悪を書き残す。
中の一人、根岸佶の筆跡を、以下に抄出しておこう。
「張継居正など国民党右派のいふところによれば、三民主義なるものは国家社会主義であって、支那の古聖賢王の思想に立脚したもので、彼の唯物思想のマルクス主義と異って居るとのことである。然し右主義はやゝ漠然としてをって、伸縮の余地多いので、融通の利く支那人により、都合よく解釈せられ、孫逸仙すらこれを首唱した当時と、晩年により解釈を異にして居る。狡猾な赤露は、評判のよい三民主義の仮装の下に、不人気な共産主義を実行することを企て、着々目的を達し、今日に及んだのである。

今や支那は固有の兵匪の禍から、赤露特有の工匪の禍に移らんとする。
彼等は無産階級専制を実現するにつき障害となるべき支那の伝統的制度や思想を破壊することに努める。支那社会制度の根本である家族制度と三千年来支那の人心を維持した倫理を排斥してやまない。又革命以前の教育は階級闘志を減殺するものとし従来支那の指導者であった読書人即ち知識階級をも抹殺せんとして居る。これ等の運動は国民党共産系の勢力を増加するに及び次第に政策として実行せられる。支那の前途如何に成りゆくか想像するに余りあるだらう」
典型的だ。
今の中国共産党も日常的にやっている、実にテンプレそのものな、アカい仕草といっていい。
まあ、もっとも。これだけ永く続けているにも拘らず、未だ破壊するための「伝統」が残されているあたり、それはそれで一つの驚異であるのだが。

(雲南省、鎮魂の土俗)
日本ではとても
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