穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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特派員、大屋久寿雄 ―「欧州情勢、複雑怪奇」に挑戦した日本人―

 

 ここ最近、『バルカン近東の戦時外交』という古書を興味深く読んでいる。


 出版は、昭和十六年五月三十日。


 著者の名は、大屋久寿雄くすお


 1938年10月、風雲急を告げつつあるバルカンに同盟通信社の特派員として派遣されたこの大屋という人物は、以後1940年3月までの15ヶ月間、イスタンブールに、アンカラに、ブカレストに、ベオグラードに、ソフィアに、アテネに、ローマに、パリに、はたまたベルリンにと欧州中を飛び回り、同時代の日本人がともすれば「複雑怪奇」と理解を放棄しがちであった彼の地の情勢を解き明かすべく、眼を光らせ観察力を総動員して事に当たった男であった。


 本書はその仕事の総決算といってよく、情報分析の精確さと論理展開の鋭さたるや尋常一様のものでない。

 

 

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 たとえば「国際道徳と個人道徳との混同は絶対に避けねばならぬ」という、この透徹した現実主義はどうであろう。

 


 国にとって最も大切なことは「国を亡さぬ」ことである。個人道徳に於てすら正当防衛と言ふ自己保存の必要から殺人を無罪としてゐる如く、国家としては国を亡さぬためには当然如何なる手段もまた許さるべきである。それを個人道徳の鏡にあてて、或は無節操と言ひ、或は裏切りを責めるのは、自己の節操を立て通し得る強大国の、然らざる弱小国に対する無理解であり、弱小国を利用せんとして利用しそこねた強大国の女々しい恨事である。(17~18頁)

 


 目的のためなら手段を選ばず、且つそれを当然とする一連のマキャベリスト的見解は読んでいて非常に快い。スルスルと、抵抗なくあたまに入ってくる感じがするのだ。
「中立」に対する見解についても、耳を傾けるべきものがある。

 


 弱小国は今次大戦に際して、何れも先を争って中立維持を声明した。(中略)しかし、彼らの中立維持声明は単に彼らがそれを欲すると言ふ意志表示をしたにすぎないのであって、彼らが自分自身の力で中立を維持し得る、といふのとはまた全く別のことなのであった。
 中立を維持し通すためには、外部からの圧迫や誘惑を、断乎として退けるに必要な実力を持ってゐることが肝要である。この実力がなければ、或は心ならずも中立を放棄しなければならなくなるかもしれないのである。(15~16頁)

 


 平和、平和と念仏のように唱えて居れば本当に平和がやって来る。そんな虫のいい話は夢想家の脳内にしか存在しない。国際社会が徹底的な力の世界ということを、大屋はよく理解していた。
 正義人道の美名など、所詮はそうした生の姿の毒々しさを隠すべく、体よく利用されるだけの装飾品に過ぎないことを。


 この点、アメリ中国の対立が日に日に深まる現代に生きる我々も、しかと胸に刻んでおく必要がある。

 

 

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 ソヴィエトロシア「地下水のやうだ」と表現するに至っては、慧眼も極まったと言うべきだろう。共産国家に絶えず付随する薄暗さ、人目につかぬ地の深みからちょろりちょろりと滲み渡り、徐々に根元を腐らせて、ついには如何なる大廈高楼だろうとこれを覆してしまう悪質さ。なるほど特性という特性が、いちいち地下水と符合する。

 


 単に独・伊・英・仏と言はず、世界中の強国を根こそぎ疲弊衰退させて、世界赤化の大野心を実現することだけがソ連の狙ひであり、従ってこの目的に有用か有害かによってソ連式徳義の標準は定る。それ以外のことはその時まかせの便宜主義で適当に片附けていいのであるし、事実片附けてゐる。だから今日の言葉と明日の約束が矛盾してゐても少しも構はない。周囲の情勢が変化してゐるのに、昨日と今日と、明日と常に同じ言葉を用ひるならその方がいけない、と言ふのがソ連の考へ方である。(7~8頁)

 


 厄介極まるこの「地下水」の浸潤を、大日本帝国はよく防いだといってよかろう。三・一五事件四・一六事件等に代表される、特別高等警察の度重なる大規模検挙で、国内の赤色革命勢力をほぼ全滅に追い込めたのはまことにめでたい限りであった。


 少なからぬ犠牲を払いながらも、特高が挙げた数々の功績。実に彼らこそ、日本国にとっての恩人と言うことが出来るだろう。


 もっともその努力とて敗戦後、日本を二度と足腰立たぬところまで弱体化させんと目論んだGHQの策動により、ことごとく水泡に帰すのだが。

 

 

Flag of the Soviet Union

Wikipediaより、ソ連国旗) 

 

 

 あの占領軍はこともあろうに特高が折角牢にぶちこんでおいたアカどもを、軒並み解き放って自由の身とし、連中が


天皇制を廃止せよ!』
『労働者農民の政府を作れ!』
『大土地所有の没収!』
『世界労働者農民の祖国ソ連を守れ!』


 などと書かれたビラを撒き、インターナショナルを歌いながら大通りを練り歩く手助けをした。


 やがてはそれが、我が身さえも蝕む毒となることを知らないままに。

 


 戦後、特高ほど誤解され、いわれのない批難を受けた組織というのも珍しかろう。
 このことについてはまたいずれ、稿を改めて書きたく思う。

 

 

君主論 - 新版 (中公文庫)

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