訴訟大国アメリカといえど、これはなかなか珍しい例に属するのではあるまいか。
ロビイストが企業を相手に、法廷闘争を挑んだのである。
1929年8月24日のことだった。
この日、ウィリアム・B・シャラーという人物がにわかに世の表舞台に躍り出て、三つの大造船会社の名前を次々に挙げ、
「目下、これらの企業で建造している一万トン級の巡洋艦八隻の建造案を議会に可決させたのは、自分がさんざん骨を折って運動した結果であり、その運動は右造船会社の社長たちの連名で依頼されたものだった。にも拘らず、私は立派に仕事を果たしたというのに、彼らは未だ約束の報酬金を払おうとしない」
仰天すべき主張を展開、未払いの報酬257655ドルを耳揃えて出しやがれと訴えたのだ。
更にまた、シャラーは1927年ジュネーブに開かれた海軍軍縮会議を引き合いに出し、
「あの会議が何ら得るところなく決裂したのも、俺の暗中飛躍のおかげさ」
とぶちまけたから堪らない。
もし同時期の日本でこんなことを言い出す輩があったなら、まず葦原将軍の同類視されるのがオチだろう。誰も正気に取り合わず、却って頭の具合を疑い、最悪の場合医者が警官を連れてやって来て、窓のない病院に収容される破目になる。
ところが舞台はアメリカだった。
ロビー活動に名を借りた企業による政治家への献金が、半ば伝統と化している国である。
世間の耳目はたちまち彼の頭上に殺到し、やがて上院に調査委員会が設けられ、事件の真相追求に血道を上げるまで至る。
その結果、少なくとも以下のことどもは事実であると承認された。
・議会に15隻の巡洋艦建造案が上程された際、件の造船会社社長らが、シャラーをロビーとして雇ったこと。
・1928年の商船法制定に際しては、合計143000ドルの運動費を出したこと。
・ジュネーブの軍縮会議には、その状況を視察報告せしむるという名目で、25000ドルを与えてシャラーを彼の地に派遣したこと。
任意の年のドルの価値を計算できるウェブサイト、「The Inflataion Calculator」の助けを借りてみたところ、1928年に於ける143000ドルは現在の2168554ドルに当たるという。
これを更に日本円に換算すると、およそ二億三千万円弱という金額がはじき出される。
ついでながらシャラーの求めた報酬金257655ドルは、およそ四億一千万円だ。
この訴訟を皮切りとして、アメリカではロビー活動を素っ破抜くのが一種の流行物のようになった。
たとえばキューバに拠点を有する製糖会社が結託し、砂糖の輸入税を安くするため、1929年だけで100万ドルを使ったことも暴露されたし、全国電燈協会が公企業の国有反対運動のため、やはり一年で100万ドルをバラ撒いていたのも明るみに出た。
連邦準備銀行法、国家予算法、連邦水力利用法等、一つとして全国商業会議所の熱心な運動に依らざるはないし、ボストンの某羊毛製造会社は羊毛の関税税率を自ら定めて議会に可決させていた。
合衆国醸造者協会は四年間に400万ドルを費やして禁酒法と闘っていたし、いちいち実例を上げていくと、まったく枚挙に暇がなくなってしまう。
当然、これらの事実は激しいセンセーションを惹き起こし、その反響が、海を越えて日本にまで伝わった。
――まるで意味がわからない。
誰も彼もが、変に白っぽい表情でこれを迎えた。
今も昔も、日本人が理解しにくいアメリカ文化の第一は、ロビー活動であるだろう。
政策が金で買えるという、その時点でもう日本人の感覚的には異様であった。
どうにも不可解なこの現実を、しかし丁寧に丁寧に噛み砕き、少しでも相互理解を深めるべく尽力した人士のひとりに、米田実が挙げられる。
(米田実)
法学博士の学位を持った、この東京朝日新聞顧問は、建国の瞬間まで遡ってアメリカの「金権万能主義」を説明している。
なんでも米田の調査によると、憲法会議に出席した五十五人の国父たち、
そのうち四十人以上が公債所有者として大蔵省に登記しており、
土地投機業者と認められるべき者が十四人、
金貸しが二十四人おり、
商工業者の代表格が十一人、
奴隷所有者が十五人――その中にはワシントンも含まれる――で、
小農及び労働者の代表と認められるべき人間は、ついに影すら見当たらぬという。
こういう人間集団の手で作成されたのが合衆国憲法であり、それを骨子として国を運営する以上、そのふるまいが資本第一主義に傾くのも已むを得ざる流れではないか――。
流石、勝海舟の後援で合衆国に留学し、オレゴン大学卒業後、アイオワ大学院を修了しただけのことはあり、アメリカの本質をよく見抜いている。
(合衆国財務省)
戦前屈指の「アメリカ
――滂沱の涙も血を吐くような千万言も必要ない。金だ。ロビイストを通じて金の雨を降らせればいい。
ということを。
奇しくも杉山茂丸が、晩年に似たような結論に逢着している。
「アメリカから大金を借りると面白いぞ。金の貸し先になると関心を持ち続けてくれるからな」
「日本の黒幕」と通称された希代の怪傑、この伝説的フィクサーは、なんでも田中義一内閣のころ団琢磨や満鉄社長と相謀り、モルガン財閥を満鉄経営に引っ張り込もうと精力的に活動し、上のようなことをしょっちゅう周囲に吹聴していたそうである。
このことは昭和鉱業株式会社社長・久留島秀三郎が戦後間もなく出版した随筆集、『飛行機とバスの窓から』にも確かめられることだから、まず信用に足るだろう。
日米間の感情――日本の対米感情は然程悪くなかったと思ふ。それより米国の対日感情がよくなかったやうだ。移民制限から移民禁止にまで進んで行った。こんな事になると日本の対米感情も悪化する。悪感情のシーソーゲームなんて愚の至りである。
こんな事は決して両国の幸福でないと考へる人が米国にもあった。日本にもあった。しかも満洲が一つの目障りの種でもある。(昭和二十五年発行『飛行機とバスの窓から』71頁)
と、第一次世界大戦後の両国間の機微に触れ、
満洲に相当な米資を迎へて、米国にも満洲に興味を持って貰って、日米協力して満洲開発の実を挙げやうと云ふ考が日本政府にもあった。井上博士が直接折衝にあたられた。(中略)満鉄から鉄と石炭を切り離して日米合弁会社を作らうと迄話は進んだらしい。折半出資か過半数を持つかと云ふ様な話が進められて居る時、つまらぬ事で内閣が更迭した。満鉄幹部も辞職し、そんな話は何処かへ行って仕舞った。(71~72頁)
その顛末を簡潔に、しかし万感籠めて書き綴っている。
1945年8月15日の破局を避ける機会は何度もあった。
これはその、もっとも有望な一つであろう。
アメリカではこんにちでもロビー活動が隆盛を極め、2018年にはフェイスブックが1262万ドルを、Amazonが1440万ドルを、ボーイングが1512万ドルを、AT&Tが1852万ドルを、それぞれその用途に費やしている。
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