穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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人は人と戦うための形をしている


 中谷徳太郎が気になっている。


 明治十九年生まれ、坪内逍遥に師事した文士。

 

 

Shoyo Tsubouchi cropped

Wikipediaより、坪内逍遥

 


 作家としては無名に近い――なんといっても、wikiに記事すらありゃしない――が、随筆なり時事評論なり、そっちの分野に目を転ずれば、なかなか私の好みにった鋭い意見を吐いている。


 わけても大正三年の、世界大戦勃発直後の感想など最高だ。


「この戦争が破壊的に拡大して、今まで人間が地球の上に築き上げたあらゆる記念や、芸術や、智識的産物を悉く壊滅して、血を以て坤球を掩ひつくすと面白ひと思ふ! ――ここまで露骨に不謹慎を表白できる人材は、当時に於いても珍しい。


 あの大戦の拡大を「面白い」と言ったのは鈴木三重吉も然りだが、彼の『赤い鳥』の童話作家の口吻中にはまだ幾分か皮肉というか、あてこすり・・・・・の色彩が含んであったに対照し、どうも中谷徳太郎には小細工がない、間違いなく本心から出た、素材そのまま純度百二十パーセント、ピッカピカの真実の声に思われる。

 

 

塹壕中のドイツ兵)

 

 

 中谷には、哲学があった。

 


人間のることのうちで一番正当な宿命的な使命は、闘争と繁殖とだけだ。これを外にして生物界の現象といふものはない。吾人が平和と呼んでゐる現代の文明生活といふのもやはり悪戦苦闘の巷だ。たゞそれが偽善の仮面にかくれて、人道といふ楯に依って瞞着的に行はれてゐるに過ぎない」

 


 闘争、ひいては生命に対して、独自の視方を持っていたのは疑いがない。


 更に進むと彼はもう、帝愛グループ会長と、例の兵藤和尊と遜色のない境地にまで至っているのが見出せる。

 


「階級とか、労働とか、資本とか、政党とか、商売とか、恋愛とか、事業とか皆個人或は社会の対抗闘争だが、こんなのは蝸牛角上の争ひに過ぎない。戦争となるとこれが本然的に、野蛮に、尊重すべき原始的な状態で行はれる。戦争の場合だけ公然人間同士の屠殺自由が公認される。これは好いことだ。一体現代の文明といふ厄介なものは、余り人間の生命を尊重しすぎる。今日の人間は一口の太刀を帯び、一挺のピストルを携へることも許されてゐない。人間にはどこまでも持って生まれた本能で、自己を防禦し敵を斃すだけの自由な権利を保留しておいて、思ふ儘に野蛮主義を遂行させたい」

 

 

 


 中谷徳太郎の死は、大正九年に訪れた。


 西暦にして一九二〇年の、一月下旬。


 ヴェルサイユ条約の調印が成り、世界が「二十年の停戦」期間に突入してからほぼ半年後のことだった。

 

 

 

 

 


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