口達者を尊敬する。
およそ人類の
その利器を使うに巧緻な手合い──物は言いよう、ああいえば上祐、丸い卵も切り様で四角。弁舌爽やか、口の上手い奴らには、ほとほと感服させられる。
(『Stray』より)
彼らの創意工夫にかかれば豚を樹上へ登らせるなど朝飯前の沙汰事だ。白いカラスに空を舞わせることも出来るし、ラクダを引いて針の穴を通るのも、いとも容易くこなせよう。鼻持ちならないゴマすり野郎、揉み手揉み手のオベッカ遣い、スネ夫みたいな太鼓持ちを以ってさえ、ちょっと修辞を凝らしたならばあら不思議。辛い浮世の荒波に必死で抗う英雄的相貌を、たちまちのうちに備えだす。
嘘ではない。
現に福澤桃介が、まさにそうした、普通ならとても褒めようのない存在を有頂天まで持ち上げる、匠の業を魅せている。
彼は嘗て、
「天は如何なる労力に対してもそれに相当の報酬を下さぬと言ふ事はない、大に働く者が大なる報酬を得るが如く、腹にもないオベッカを言って先輩に取入ることは大道を闊歩して気焔を吐き散らすのとは違ってナカナカ苦痛である。容易に人の出来ぬ事である。人のなし得ない苦痛を忍んで先輩に取入るのであるから、天はその絶大な労力に対して報酬を与へぬ訳には行かない。オベッカ者が立身出世をするのはその艱難に打ち耐えた天の報酬であって決して不合理な事ではないのである」
(Wikipediaより、福澤桃介)
年末年始はおよそこの種の、つまりは幇間の才能が最も必要とされる時期。
心を潰して接待の任に従事する名もなき勇者達のため、短いながらも本稿を捧げたく思う。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓