穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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尼港事件を忘れるな


 本能寺の変の報を受けた際、黒田官兵衛は秀吉に


「これで殿のご武運が開けましたな」


 とささやいた。


 ビスマルクもまた、社会主義者の手によって皇帝暗殺未遂事件が発生したと告げられて、咄嗟に口を衝いて出た運命的な一言は、


「よし、議会を解散させろ」


 であったのだ。

 

 

ブランデンブルク門付近)

 


 機を見るに敏どころの騒ぎではない。


 あまりに、あまりに早すぎる。


 凡愚が通常、一ヶ月も経ってからやっと気がつく最適解に、彼らはものの一秒以下で達し得る。


 謀略的天才とはこうしたものだ。総身、これ謀智なり。全然予期せざる椿事、どれほど突飛な新局面を突きつけられても、この連中の神経回路は麻痺しない。狼狽などと、無駄な感情に禍されず、直ちに事態の最大限の利用手段を模索して、いよいよ冴えて稼働うごき出す。それはもう、眼窩の奥から白光を放たんばかりの勢いで──。


 誰が言ったか、狂人とは理性を失くした者でなく、理性以外の一切を喪失した者なりと。もしこの定義に従うならば、如水も鉄血宰相も、紛うことなく狂人として認定されていいだろう。

 

 

Kuroda Josui's Tombstone

Wikipediaより、黒田如水の墓)

 


 ところが人間世界には、そうした種類の狂気を用いることでしか治められない局面がある。


 その種の狂気が、諸手を挙げて歓迎されるときがある。


 尼港事件の真相が世間に知れ渡るにつれて、かかる一大狂人の出現を心の底から切望した者がいる。


 東京朝日新聞杉村楚人冠である。


 第一次世界大戦期間中、同社の特派員として欧州に居た楚人冠。


 だから知る。西部戦線異状なしの裏側で、ベルギーのやったプロパガンダ活動が如何に凄まじかったかを。「ドイツ人の蛮行」を書き綴ったパンフレットがいったい何百冊刷られ、どれほど多くが無料配布されたかを。


 兵力小なりといえど、ベルギー人の筆先が如何にドイツを孤立させ、鬼畜外道の衣を着せて「世界の敵」へと祀り上げてゆく為にどれほど偉功があったかを、間近で観察て知っているのだ。

 

 

ブリュッセルにて観兵式を行う独軍

 


 なればこそ、楚人冠の心情たるや悲痛であった、絶望せずにはいられない。──修羅の巷でうんざりするほど鍛冶された欧州列強諸国に比して、祖国日本の人々の宣伝活動能力のなんと低劣なことだろう!

 


今度のニコラエフスクの邦人虐殺に対して日本は今何をして居るか。虐殺といへば、ロシアに於けるユダヤ人の虐殺、トルコに於けるアルメニア人の虐殺とは、元より数に於て比べものにもならぬが、それは同国内の或種族に対する虐殺であって、今度のやうに独立国の国民が戦争でなくして虐殺された例は正しく稀有である。此の古今稀有の大暴行大侮辱に対して日本は宣伝の上に於て今何をしてゐる。
 パルチザンの蛮行は世界人道の上より見て天下に訴ふべき大宣伝を必要とする。同時に世界をして日本の今後の行動を正認せしめんが為には、何よりも宣伝の絶好機である。この機会を逸したら、取り返しがつかぬ。政府の責任を問ふ事は後でも出来る。宣伝の必要に至っては一刻を争ふ。外務省に新に出来た情報部は今何ういふ活動をしてゐるか。新聞雑誌及各種の通信機関は今何ういふ風に利用されてゐるか。宗教家政治家及外国の事といへば直ぐしゃしゃり出たがる各種の何とか協会共は今何をしてゐる」

 


 繰り返される「何をしてゐる」の問いかけは、言うまでもなく各方面の動きがあまりに鈍いことに対しての「一体全体、何をやってやがるんだ」、苛立ちを糊塗する目的の疑問形に他ならぬ。

 

 

Nikolayevsk Incident-3

Wikipediaより、廃墟となったニコラエフスク

 


 とどのつまりは優先順位の問題だ。往々にして日本人は、この判断を致命的に間違える。一九二〇年の場合に於いても、やっぱり我らは間違えた。ニュースを利用するのにも旬があるということを、これほど簡単明瞭に楚人冠が伝えておいてくれたのに、耳を貸そうとしなかった。


 だからこそ、後の歴史が存在している。


 実際問題、今の日本人間に「尼港事件」を知り置く者がどれほど残っているだろう。


 三十人、否、五十人いて一人概要を答えられれば大出来ではあるまいか。


 あれほどの惨事、不祥事が、ただシベリアの風雪に埋もれてゆくばかりとは、心寒いことである。

 

 

 


「昨日は人と思へ共、今日は我が身に降りかかる」
「武士道」
「詠む人の ありて嬉しき 花の蔭」

「血の雫 竹の濡れ葉や 月凉し」

「五月二十四日午后十二時を忘るるな」

 

──ニコラエフスク、牢獄に残された走り書き

 

 

 

 

 


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