百年前のことである。孫文あるいは孫逸仙を名乗る男の手によって、地獄の扉が開かれた。「連ソ・容共・扶助工農」政策だ。
国民党の勢力強化を目論んで、ソ連と手を結ばんとした。平たく言えばそうなろう。貧すれば鈍す、溺れる者は藁をも掴むと常套句の類いだが、よりにもよってアカの魔の手に縋っちまったが運の尽き。
三十年後の国民党の退潮は、支那本土から蹴り出され、台湾島ひとつぽっちに押し込められる惨めさは、この瞬間からもう既に決まっていたのやも知れぬ。
所詮、神ならぬ人の身だ。未来、行く末、運命などと云うものが予測不能であることは、もちろん当然だけれども。いったい孫文自身には、共産主義者というものにつき、どれほど理解があったのか。背負うリスクの巨大さを、どこまで承知していたか。
そのあたりを探るについて、有力な証言が残されている。例の「支那通」、神田正雄が折よくも、まさにこの時期、孫文の元を訪れて、直接内意を糾しているのだ。
曰く、面談の席上で、孫文は斯様に述べたとか。
「支那には昔から社会民主主義の思想はあったので西欧の輸入を待つまでもない話である、即ち孔子の大同は此事である、従って露国の過激思想も支那は容易に受け入れると思ふ、尤も其結果が露国の現況の様に大混乱に陥るとは信じられない、是は支那の社会は欧米各国の様に貧富の懸隔が大きくないからである」
もしかするとこの人は、ただの馬鹿なんじゃなかろうか。
どこまで本気の発言だったか知らないが――支那人世界に貧富の差が薄いなど、どう考えても本音である筈がない――、アカの邪悪さ、陰湿さ、執念深さと危険性に関しては、孫文はよほど見立ての甘い、迂闊な男であったのだと判断せずにはいられない。
ちなみに魯迅に言わせると、革命家が孔子を称揚しだすのは既にそいつが斜陽の証拠、没落秒読み待ったなしにて掻き鳴らす、断末魔の亜種なのだそうな。
「面白いことに、孔子はいつも政治家に利用されてゐる。支那に革命が起るとまづ第一に彼を打破してかかり、革命が不成功に終りかかると、今度は反対に彼を褒めはじめる。今日国民党が孔子宣伝に力を入れてゐるがそれは最後の土壇場に来てゐることを物語るに過ぎない」
なかなか優れた観察だ。
覚えておいて損はない。
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