穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

給料自粛の不文律 ―官尊民卑の激しき時代―

このころの「官」が如何に強大なりしかを象徴するエピソードとして、「給料自粛の不文律」が挙げられる。 これがいったいどういうものか。慶応義塾の出身で、実業家にして衆議院議員、波多野承五郎の筆を借りてお目にかけよう。 其頃の三菱や郵船は勿論、日…

社章にまつわるエピソード ―「E」を伝えた前島密―

少々話を先取りしたい。 前回の末尾でさも華々しくスタートを切った陸運元会社であるが、実際にこの社名が通用したのは明治五年から八年までと意外に短い。 何故か。 明治八年四月十三日の令により、内務卿大久保利通の名の下に、日本国内に点在するすべての…

陸運元会社の誕生 ―日本通運への軌跡―

前島密と佐々木荘助。 日本物流史に巨頭として名を印せられるに値する、この両名が再び顔を合わせたのは明治五年四月の某日のこと。「司」から昇格を果たした駅逓寮(・)に、前島が佐々木を招喚するという形をとった。 目的は、不毛なる郵便戦争の終結にあ…

前島密と佐々木荘助 ―明治四年の郵便戦争―

――どうも新政府の中に、逓信事業を町飛脚から取り上げようとする動きがある。 その風聞を最初に伝え聞いたとき、当の定飛脚問屋「五軒仲間」は誰も本気にしなかった。 ――まさか。 考えてもみよ、と思うのである。 江戸幕府が彼らの特権を認めてから、既に100…

町飛脚の歩み ―定飛脚問屋への道程―

寛文三年の公許によって、町飛脚には大小さまざまな変化が齎された。 たとえば服装。これまでのように武士の格好をする必要が無くなって、飛脚夫の姿は全然町人のそれとなり、現代に生きる我々が「飛脚」と聞いてすぐ連想するあの軽装が一般的になったのであ…

日本国の物流史 ―町飛脚誕生にまつわるこもごも―

町飛脚成立の経緯については、なかなか興味深い伝承がある。 折角なので紹介しよう。こんな具合のあらすじだ。 元和元年、家康公が豊臣家を覆滅し、大坂が主を失ったとき。幕府は当然、この政治的にも軍略的にも重要すぎる経済都市を諸侯の手に委ねる真似は…

日本国の物流史 ―華やかな海、ふるわない陸―

日本国は海洋国家と俗に言われる。 間違いではない。なにしろこの大八洲の地形ときたら、山を越えればまた山が出現(あらわ)れるといったような塩梅で、それがどこどこまでも続くのである。 ――平野など、どこにあるか。 古代人にとって、この叫びはより痛切…

日仏無心状奇譚 ―亀田鵬斎とヴェルレーヌ―

古川柳に、 鵬斎も 無心の手紙 読めるなり というものがある。 江戸時代、書と儒学とをよく修めた亀田鵬斎を諷した歌だ。 (Wikipediaより、亀田鵬斎) いったい鵬斎という人物は独特な、曲がりくねった草書体を好んで使う癖があり、欧米収集家の間では「フ…

中条流川柳私的撰集 ―「ママにあいたい」の衝撃から―

つい先日、「ママにあいたい」というフリーゲームをプレイした。 オープニングの時点で両腕を欠損している主人公が、母親にあいたい一心で、同じく色々と失っている兄弟姉妹の力を借りつつ、ひび割れや血痕の目立つ謎空間から脱け出そうと奮闘する作品だ。 …

夢路紀行抄 ―牙を剥く脳みそ―

夢を見た。 何をやっても上手くいかない夢である。 蛍光灯の冷たい光。 意匠というものを一切凝らさぬ堅い壁。 無機質なことこの上ない、どこか病院を思わせる一室で、ふと気が付くと、私は太巻き寿司をつくる作業に従事していた。 部屋には私以外にも十人前…

続・ハワイ王国と日本人 ―猛烈なるかな野村貞―

1894年3月29日、東郷平八郎率いる戦艦「浪速」はホノルルを抜錨、日本へ去った。 彼から任を引き継いだのは、戦艦「高千穂」。艦長は野村貞海軍大佐。 世間ではあまり知られていないが、この野村艦長がハワイで見せた挙動には、ともすれば前任者を遥かに凌ぐ…

ハワイ王国と日本人 ―『日本魂による論語解釈』和歌撰集・番外編―

【不如諸夏之亡】 詳しくは、「夷狄之有君、不如諸夏之亡也」。夷狄の君有るは、諸夏の(君)亡きが如くならず――夷狄でさえ君主を戴くこと、その重要さを心得ており、みすみすそれをぶち壊しにしてしまった我が中華のようではない。 もっともこの項には別の…

ドイツ精神と猫のエサ

昨日の記事で、せっかく尾崎に触れたのだ。 ついでにこのことも話しておこう。やはり『咢堂漫談』中の一幕である。 欧州大戦以前――すなわち帝政ドイツ時代に於いて、ベルリンからおよそ300キロ南東に位置するブレスラウ市で起きた事件だ。 (ブレスラウ) こ…

『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―尾崎行雄と「事君尽礼」―

【事君尽礼】 詳しくは、「事君尽礼、人以為諂也」。君に事(つか)ふるに礼を尽くさば、人以ってへつらいと為すなり。 礼儀正しくふるまう姿を斜めに見、なにをおべっか使っていやがる、鼻持ちならないゴマすり野郎めと冷笑する手合いというのは確かに居る…

『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―文献不足・壁の中の書―

【文献不足】 詳しくは、「子曰、夏禮吾能言之、杞不足徴也、殷禮吾能言之、宋不足徴也、文献不足故也、足則吾能徴之矣」。 孔子は夏の国の礼について、十分語ることが出来た。しかしながら夏の後に興った杞国については、詳しく検証することが出来なかった…

『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―巧言令色・吾日三省―

【吾日三省吾身】 詳しくは「曾子曰、吾日三省吾身、 為人謀而忠乎、 与朋友交言而不信乎、 伝不習乎」。 孔子の高弟に曾子という人物が居た。 (曾子) 彼は日に三度、欠かさず我が身を振り返ったという。即ち、 一、人の為に真剣に物事を考えてあげられた…

『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―孝道編―

論語は天下第一の歌書なり、歌を詠まんと欲せば、先づ論語を読むべし。 江戸時代後期の歌人、香川景樹の言葉である。 景樹に限らず、難解な哲学書を解読するにうたごころ(・・・・・)を以って鍵と為し、更には噛み砕いた内容を、五・七・五の形式に昇華さ…

永遠に忘れじ、志田周子

村人の感情面以外にも、志田周子の悩みの種は多かった。 無数に及んだといっていい。今回は、それらの中でも大粒のモノを点描してみる。 まず真っ先に挙げられるのは、彼女自身の医師としての未熟さだろう。東京女子医専卒業後、二年あまりにわたって今村内…

仙境の嫁姑戦争

いまさら言うに及ばぬことだが、大井澤村は田舎である。 繰り返し何度も書いてきた、「仙境」という単語は伊達でないのだ。出羽三山の小天地、標高一五〇〇尺(およそ450メートル)の山峡(やまあい)に細長く軒を連ねる寒村――。 世の風雲から切り離された土…

志田周子、苦闘の歳月 ―間口六間、奥行四間の診療所―

これまで触れて来た通り、大井澤村という山形県の仙境で、とにもかくにも医師としてやっていくことになった志田周子。しかしながらその足取りは決して順調とは言い難く、どころか逆に、のっけからしてつまずいたとさえ言っていい。 なにしろ「前提」ですらあ…

志田周子の背景 ―父・荘次郎翁の軌跡―

山形県の農村で名家の娘として生まれた周子は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医師になった。父からの「スグカエレ」という電報を受けて8年ぶりに故郷に戻った周子は、父・荘次郎が勝手に周子名義で診療所を建設していることを知る。無…

仙境のナイチンゲール ―山村と死亡診断書―

昨日に引き続き、『甦へる無醫村』についてである。 本書は「仙境のナイチンゲール」と呼び名の高い志田周子を軸としながら、しかしそれのみにとどまらず、無医村の悲惨な実態や、我が国に於ける女医の系譜を縷々と綴った――それこそ『古事記』の昔にさかのぼ…

仙境のナイチンゲール ―2020年最初の読書―

2020年最初の読書は、1944年刊行の、『甦へる無醫村 ―雪国に闘ふ女醫の記録―』という古書だった。 1944年といえば、すなわち昭和19年。 敗戦の前年度に他ならず、既に末期的様相を呈しつつある日本に於いて出版された書籍ときては、いきおい身構えざるを得な…