古川柳に、
というものがある。
江戸時代、書と儒学とをよく修めた亀田鵬斎を諷した歌だ。
いったい鵬斎という人物は独特な、曲がりくねった草書体を好んで使う癖があり、欧米収集家の間では「フライング・ダンス」と形容されるほど墨痕に個性が躍如としている。よって普通人には何と書いてあるのかさっぱり解せず、また
ところがその鵬斎だろうと、いっそ斜め読みが可能なほどに読み易い、簡単な字体で手紙を作る場合があった。
それこそが「無心の手紙」――要するに、金をせびる時である。
こればっかりは読んでもらわなくては目的が達せず、達せなければ最悪飢えて死にかねないのだから致し方ない。
この「無心の手紙」に関しては、遠く離れたフランスにも面白い話が伝わっている。そちらの主人公は19世紀の象徴派詩人、ポール・マリー・ヴェルレーヌだ。
(Wikipediaより、ポール・ヴェルレーヌ)
この人はデカダンスの教祖と仰がれるほどに美しい詩を詠みながら、しかし人生の舵取りには大失敗したといってよく、教え子の美少年に懸想して教師の職を失くしたり、酒に酔っては危うく母親を絞殺しかけ、牢獄にたたき込まれたりと紆余曲折を経た挙句、最終的には言うを憚る貧窮の果て、娼婦に看取られ51歳で息を引き取る。
そんなヴェルレーヌが生前に、彼の著作を編纂している何某へ「50フランだけでも前借りさせてくれないか」という手紙を送ったことがある。むろん、自筆の書であった。
するとどうであろう、やがて競売にかけられたその手紙には、あっという間に900フランもの値がついたのだ。
この競売会が開かれたのは20世紀の初めごろ。当時の1フランはだいたい今の1500円に相当するそうだから、ざっと135万円の価値になる。
泉下のヴェルレーヌがこれを知ったら、さぞや感傷的な詩を詠んだことに相違ない。いや、案外既に詠んでいて、楽園の天使や女神たちを感涙させているやも知れぬ。
芸術家といえど生身の人間である以上、生活苦の世知辛さから逃れることが叶わないのは、洋の東西を問わぬ共通事項であるようだ。
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