夢を見た。
何をやっても上手くいかない夢である。
蛍光灯の冷たい光。
意匠というものを一切凝らさぬ堅い壁。
無機質なことこの上ない、どこか病院を思わせる一室で、ふと気が付くと、私は太巻き寿司をつくる作業に従事していた。
部屋には私以外にも十人前後の人がいて、うち幾つかは見覚えのある顔だった。
十数年ぶりにお目にかかる奴もいる。
皆せっせと巻きすだれを丸めては、右手の皿に太巻き寿司を積み上げていた。
遅れはとらじと私も仕事に取り掛かったが、どういうわけか私の作る太巻き寿司は、猿の拵えた手巻き寿司みたく不格好な扇形を呈したり、少し動かしただけで両端からぼろぼろ米粒が溢れたりと、いいところがまるでない。
自分の不器用さに半ば絶望していると、責任者と思しき男がやってきて、
――何度教えりゃあ覚えるんだ。
と、今にも耳たぶを引っ張りかねない剣幕で以って怒鳴りつけられ、私はいっそ空気に溶けて消えたくなった。
終業後、最悪の気分で帰路をたどると、家の中ではエアコンの室内機が壁から外れて落下して、床の上にて無惨な姿を晒している始末。
どうしろと言うのだ畜生め、何故こんなにも不如意ばかりが連続する。いい加減、一周まわって笑い出したくなったあたりで目が覚めた。
悪夢としかいいようがない。心身ともに休まるべき睡眠時、夢の中ですらストレスを溜めねばならぬとは、いったいどういうことであろうか。私の脳は自滅主義にでも憑かれているのか。
――ここまで書いて、ふと想起したのが『フォールアウト ニューベガス』。
詳しい説明は省くが、核戦争後のラスベガス一帯を彷徨するあのゲームには、摘出された自分の脳とガラスケース越しに会話するという場面があった。
他のゲームではなかなかお目にかかれない、独創的な展開であるといっていい。
それまでの素行の悪さゆえか、脳髄氏は私に向かって――正確には私の操作する主人公に向かって――さんざんに罵倒を加えたものである。
当時はよくできたブラックジョークの一種としか思わなかったが、こうしてみるとあれは存外、深い意味を含んでいたのではあるまいか。
「私」を構成する最大要素でありながら、脳は、心は、どうにもこうにも
こいつを支配下に置くべく古来より、数えきれないほど多くの者が座禅を組んだり滝に打たれたりして来たが、成功例は至って低く、ほんの一握りに過ぎないままだ。
私は、さて、どうだろうか。支配するところまでは行けずとも、せめてこいつに殺されるような馬鹿な目には遭いたくないものである。
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