昨日に引き続き、『甦へる無醫村』についてである。
本書は「仙境のナイチンゲール」と呼び名の高い志田周子を軸としながら、しかしそれのみにとどまらず、無医村の悲惨な実態や、我が国に於ける女医の系譜を縷々と綴った――それこそ『古事記』の昔にさかのぼってまで――、非常に広範な内容を包括する本である。
そうした背景の認識なくば、志田周子の真価は理解できないと、著者である福岡隆は見たのだろう。そしてその判断は正しかった。
特に死亡診断書の一件なぞは、私にとっても完全に盲点であったので、大いに蒙を啓かれる思いがしたのだ。
事のあらましはこうである。明治維新後、何がやかましくなったかといっても戸籍関連以上にやかましくなった分野はざらにない。
いやしくも近代国家を名乗るたてまえ、人が勝手に消えたり土になったりすることは許されないのだ。どこからどう見ても完全に息の絶えたる死骸であろうが、まず医師の診察にかかり、死亡診断書という書類を書いてもらわないことには葬儀も出せぬ。
無医村の場合、たった一枚のこの書類をめぐって、遺された親族が死ぬ以上の苦しみを味わうことも多かった。
(Wikipediaより、死亡診断書)
なにせ、村に医者がいないのだ。
死体を調べてもらうためにはまず医者のいる下界まで、
が、魂の抜けた人体というのはとにかく重い。しかも歩むべきは獣道めいた山路である。
一人では文字通り荷が勝ちすぎる任であり、少なくとも四人の人夫を必要とした。
人夫には町で一ぱい酒をつけて、また十里の山道をひき返へすので、朝暗いうちに村を出ても帰村するのはどうしても夜中になる。だからその費用も容易なものではなく、内輪に見つもっても七・八十円は覚悟しなければならない。(63頁)
白米十キロが三円で買えた時代に於ける七・八十円だ。
ただでさえ貧しい僻村の暮らしにこの出費はまさしく殺人的といってよく、いやもう死体のネクローシスが
しかし一面、金さえ払えば搬出できるだけまだ幸せという面もあるのだ。
大井澤村のような一年の半分を雪に鎖される山村にあっては、厳冬期に死体を運び出すなど自殺以外のなにものでもなく、道迷いや転落の果てに新たな死体を生み出すだけのことであり、そのため冬ごもりの最中に死人が出ようものならば、たっぷり積もった戸外の雪に
福岡隆はこれを語るに、「こんな事実は医療機関にめぐまれすぎてゐる都会の人々には、ちょっと想像もつかないことであるが(62頁)」と前措いているが、現代人である私の感覚からすれば、「想像もつかない」どころの騒ぎではおさまらず、もはや地上の沙汰事とさえ思えない。
だから当時の大井澤村の人々にとって志田周子女医が赴任するということは、すなわち葬儀にまつわる手間と出費を大いに削減できるということであり、ただもうそれだけで喜悦するには十分だった。
医者を救命の使徒でなく、あたかも死亡診断書を発行する一個の機械として視るかの如きこの反応。かつての山村の実情には、ほとほと戦慄させられる。
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