――どうも新政府の中に、逓信事業を町飛脚から取り上げようとする動きがある。
その風聞を最初に伝え聞いたとき、当の定飛脚問屋「五軒仲間」は誰も本気にしなかった。
――まさか。
考えてもみよ、と思うのである。
江戸幕府が彼らの特権を認めてから、既に100年が経過している。
その100年の間、彼らはあくまで篤実にふるまい、これといった大禍も起こさず、日夜真面目に業務に打ち込む「善き営業者」で在り続けてきた。
長きに亘る経験の中から帰納して、物を運ぶ技術についても随分洗練を加えたのである。荷駄に対する縄の掛け方など、その顕著な例であろう。
これは宛先を一目で判別可能なように、目的地ごとにあらかじめ、特定の「縄筋」と「結び目」を設定しておくものである。仮に宇都宮なら「三・二・三の縄筋にトンボ結び」、仙台ならば「二・三・二の縄筋にズイキリ結び」といった具合だ。この工夫のおかげで、各宿駅に於ける荷の積み替えがどれほど楽になったかわからない。
このような「秘伝」を、町飛脚は数多編み出し、運用している。
――そんな自分たちの代役を。
いったい誰に務められるか、と訊き返してやりたい気分であった。
どうせあの新政府とやらも、俺たち抜きではにっちもさっちもいかないことにすぐに気付いて、愛想よく笑み崩れながら手を差し出してくることになる。
彼らは前途を楽観していた。
これを驕りと看做すのは、ちょっと痛ましすぎるようである。プロとして当然持っていい、誇りの類であったろう。
明治三年七月初旬、「従来の書状逓信法に関する調査」という名目で、定飛脚問屋総代・和泉屋吉村甚兵衛にお呼びがかかった際も、彼らの余裕は崩れなかった。
いや、ただ一人だけ、別な所感をもった人物がいる。
吉村甚兵衛の名代として出頭し、駅逓権正前島密と直に会見した佐々木荘助その人である。
(政府は、本気なのではないか)
前島密の面貌と、そこにみなぎる改革への熱意を目の当たりにした荘助は、極めて濃厚な危機感を抱いた。
(この男なら、やるかもしれぬ)
町飛脚が先祖代々、心血を注いで磨き上げた逓信事業の看板を、本当に奪いかねない器の持ち主――。
そう直覚した荘助は、大急ぎで帰路を駆け抜け、主家に復命すると同時に五軒仲間に触れを出す。間もなく開かれた総会で、荘助は前島密との対談内容を繰り返し語り、今のうちに善後策を講じておく必要があると主張した。
ところがこれに対する反応は、
「幕府でさえ、唯の一度もそういう御詮議をしなかったのに」
一笑に附されたといっていい。
「況してや天朝の尊厳を以ってして、斯様な民間卑賤の業を始める道理がなかろう」
従来の書状逓信法に関する調査が行われた理由としては、
「なにぶん規則好きの新政府のことであるから、我らの業体を取り締まる規則を立てようとして、その参考に我らが従来の取り扱いぶりを調べたのだろう。さまで心配するには及ばぬよ」
と、それらしい理屈をつけて勝手に安心している始末。
佐々木荘助はほとんど叫び出したくなったが、しかし彼の危機感とても確たる根拠に支えられたものではない。
前島密に対面し、なんとなくそういう感じを受けたという、謂わば直感の一種であって、その点些か説得の材料としては薄弱であると彼自身認めていたのだ。
引き下がるより他にない。
(この遅れが、致命傷にならねばよいが)
そう願いつつ暫く時勢を観望していた荘助だったが、事態は彼にとって意外な方へと動き始める。
なんと、駅逓権正前島密が日本からいなくなったのだ。
特例弁務使上野大蔵大亟の随行として、英国に派遣されたことに由る。
(しめた)
と、荘助は愁眉を開いた。第一の責任者が不在とあっては、改革などやれる道理がないであろう。前島が帰朝するまでの間、この郵便官営化問題は持ち越されるに違いなかった。
(その間に政府のご意向が変わればよいが)
そこに希望を見出したのである。
が、不幸にも――荘助の立場からすれば、こう表現する以外にないであろう――新政府の逓信事業にかける意気込みは、彼の予想を遥かに超えたものだった。
政府は前島密の不在にも拘らず、郵便官営に関する施策を矢継ぎ早にどんどん発表。明治三年十二月には、
名古屋
静岡
淀
膳所
桑名
豊橋
亀山
小田原
高槻
岡崎
水口
苅屋
品川
神奈川
韮山
度会
大津
堺
の12藩6県に命じ、管内各駅に書状収集函及び郵便切手売捌所を設けさせている。
事ここに至りて、漸く荘助以外の五軒仲間も夢から醒めた。
彼らの周章狼狽は尋常でなく、或いは地方官に嘆願したり、或いは駅逓司に駆け込んだりして郵便官営の撤廃を愁訴したが、むろん効のあるはずもない。
再び総会が開かれ、あれこれと協議を繰り返したが、対策など一つきりしかないことは、誰の目にも明らかだった。
すなわち、「五軒仲間の家業を合併して一体と為し、協力一致やがて実現せらるべき国営の郵便事業に対抗するの外なし(『国際通運株式会社史』62頁)」――政府と飛脚、
熾烈な闘いになるだろう。
待ち受ける苦難は計り知れない。
だが、それでも彼らは奮起した。「家名不朽」の絶対目標を高らかに掲げ、「信義取為替証文」により覚悟の臍を固め合い、戦場へ身を躍らせる。
戦況は、惨を極めたといっていい。
運賃をめぐって、官民の間でダンピングみたような値下げ競争まで演ぜられた。
この事態に当惑したのが政府である。五軒仲間の想像以上に激しい抵抗、おまけに彼らは長年かけて培った得意客のネットワークを活用し、シェアを毟り取るように持っていく。
総代を牢に叩き込んでみたりもしたが、彼らときたら怖気づくどころか主人以下、宰領・手代・飛脚夫の端々に至るまで総激昂していよいよ政府への敵愾心をたくましくし、一層業務に尽力しだすという有り様。
旗色は、明らかに五軒仲間が優勢だった。
かといって、政府もおいそれとは引き下がれない。
なにしろ郵便官営は勅裁を仰いで決定された、堂々たる国是の一つ。無理でした、出来ませんでしたで済まされるような代物ではない。それこそ面子にかけても仕遂げるべき案件で、五軒仲間はそのあたりの認識がまだ甘かった。
戦場にいよいよ粛殺たる気が満ちてきた、丁度そんな頃合いである。――前島密が、英国から帰還したのは。
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