穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―尾崎行雄と「事君尽礼」―

 

【事君尽礼】


 詳しくは、「事君尽礼、人以為諂也」。君につかふるに礼を尽くさば、人以ってへつらいと為すなり。


 礼儀正しくふるまう姿を斜めに見、なにをおべっか使っていやがる、鼻持ちならないゴマすり野郎めと冷笑する手合いというのは確かに居る。
 だからといってこんな思潮が主流となっては世も末だ。真面目で忠実な勤め人が、しかしその美質ゆえに公然嘲りを受けるなど考えるだに胸糞が悪い。そんなものはどう考えても、健康な社会とは言えないだろう。


 孔子も同意見であったればこそ、弟子たちに対してこのように、態々語り聞かせたのではなかろうか。

 

 

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「礼」に関してはトマス・ホッブスリヴァイアサン中で言及していて、

 


 話をかわすにあたって敬意をもって臨み、面前に出るにあたって謙虚な、節度ある態度を保つならば、相手を持ち上げることになる。それは、相手に不愉快な思いをさせることを恐れているという気持ちを表明しているからである。話しかける態度が軽率であったり、相手の面前で事をおこなうにあたってぶしつけで投げやりな、厚かましい態度をとったりするなら、それは相手を貶めることになる。

 


 彼らしい乾いた理性のもと、その効能を説いている。

 

 

君思ひ 誠尽すを 何故に
へつらひすると 人の見るらむ
(詠み人知らず)

何となく 語らひ出づる まめごとも
笑ひ崩すは 今の世ぞかし
(大隈言道)


 大隈言道は江戸時代後期の歌人野村望東尼の師ということでその名を聞いた方も居るかもしれない。
 そう、高杉晋作の最期を看取り、伝説的なあの辞世、

 

おもしろき こともなき世を おもしろく


 に、

 

すみなすものは 心なりけり


 の下の句を継いだ彼女の師だ。

 

 

Nomura Bōtō 01

 (Wikipediaより、野村望東尼)

  


 この男も心魂傾け絞り出した言の葉を、


「よせよせ、なにを真面目ぶっていやアがる」

 

 と一笑に付された経験があるのやもしれない。 

 

 

天つ神 わがしたごころ しろしめす
嘲るものに あざけらしめよ
(詠み人知らず)

 

 


 ――ところで、この「事君尽礼、人以為諂也」。


『日本魂による論語解釈』には無い記述だが、私はここに尾崎行雄の、

 

 

我がつとめ 人な笑ひそ 大君の
御浜清めて 今日もくらしつ

 


 という歌を、是非とも加え入れたく思う。

 
 尾崎――咢堂がこの句を詠むに至った経緯はこうだ。おおよそ昭和の初めごろ、日本列島の海浜という海浜は、ことごとく「掃き溜め」の観があった。
 これは比喩でもなんでもなく、文字通り周辺に住む人々がこぞってゴミを持ち込むのである。

 


 清潔なる海浜は、人類の歓楽場であり、精神的肉体的快楽の資源である。然るに我が国人は、此処をも掃溜に代用し、否な、掃溜にも捨ることを厭ふ所の猫犬の死骸、又は便所の破損物等、之を筆にするすら嘔吐の種子となるべき汚穢品の捨場所とする。(中略)此状態は、全国到る所、ぼ同様だが、周囲の人口が、稠密なだけ、東京湾に於て、最も太だしきものを見る。(昭和四年刊行『咢堂漫談』309頁)

 

 

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東京湾

 


 東京湾「ヘドロの海」と、不潔な海の代名詞のようになったのはここ2・30年のことでなく、1930年前後には既にその兆候が見られたようだ。

 根は、よほど深いといっていい。


 咢堂は更に筆を進め、

 


 今後沿岸の人口益々増加して、之を掃溜以上の掃溜に代用する以上は、遂に海水腐敗して、悪臭鼻を衝くに至るであらう。大いに沿岸住民の健康を害するに至るであらう。(310頁)

 


 と、人々に強く警告している。この記述は後に、預言と見紛うまでの精度で以って的中した。


 が、その結果を伝えたところで咢堂は喜ばないに違いない。彼はそんな未来を避けしむるべく態々警鐘を鳴らしたのであり、東京湾の自然環境を守るため、然るべき機関を設置して人心の指導に努めよとしきりに繰り返しているのだから。


 また、彼は口舌のみの輩に留まるのをよしとしなかった。行政の大なる働きを督促する一方、小なりと雖も自分にも何か実行可能なことはないかと模索して、その結果先の歌に繋がるのである。


 咢堂は、ひとり海辺でゴミ拾いに従事しだした。

 


 附近の住民は、わざわざ塵芥汚物を携へて、海浜に捨てに来る。予其の人に向て「水際まで運ばずに捨ててくれ、私が焼却してやるから」と求めても、中々承知しないで、御苦労にも、波浪の寄せ来て、洗ひ去る所まで、持って行って捨てる。予に焼かせるより浪に浚はせる方が簡便だとでも思っての事だらう。(309頁)

 

 

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 胡散臭い奇人扱いされようと、咢堂はその行為を投げ出さなかった。


 ただひたむきに、みずからの力を尽くし続けた。


「事君尽礼、人以為諂也」の見本であり、模範解答でもあるだろう。

 

 

忠君の 道遠からす 難からす
ここにもありと 芥を焼きつつ

 


 弾劾演説よりもこの一事を以ってして、彼はその名を知られるべきだ。

 尾崎行雄、まことに強き漢であった。

 

 

人生の本舞台

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  • 作者:尾崎 行雄
  • 出版社/メーカー: 世論時報
  • 発売日: 2014/09/30
  • メディア: 単行本
 

 

 

 


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