論語は天下第一の歌書なり、歌を詠まんと欲せば、先づ論語を読むべし。
江戸時代後期の歌人、香川景樹の言葉である。
景樹に限らず、難解な哲学書を解読するに
かの生田春月もその一人だ。彼は『ツァラトゥストラかく語りき』をフリードリヒ・ニーチェの一大歌集と看做し、豊かな詩的感性なくしてこれを理解するのは不可能であると判断している。
そして今、私の手元に置かれている四冊の書。
『日本魂による論語解釈』というこれら和綴じの古本を著した伊藤太郎なる人物も、どうやら景樹や春月と、同種の男であったらしい。
上は歴代天皇陛下の御製から、下は市井の川柳子まで、膨大な数の和歌を蒐集し、『論語』各章の
その中から、更に私の琴線に触れた作品群を厳選してお目にかけたい。暫くの間お付き合いいただければ幸いである。
【孝道】
産んだ子に 教へてもらふ 親の恩
(柳樽)
(柳樽)
育てる番になって、自分が如何に手厚く育てられたか思い知る。
送り火は 消えても消えぬは 思ひかな
(柳樽)
(柳樽)
秋の夜や もむも楽しき 親の肩
(虚白)
心して 見よや昼寝の 父のしわ
(詠み人知らず)
子に運ぶ 餌に疲れけり 親雀
(詠み人知らず)
(詠み人知らず)
不孝もの 兎角難題 親につけ
(詠み人知らず)
親のすねかじりも、骨まで噛んで髄を啜ること無きように。
小学校の校庭で、いつも薪を背負いながら書を呼んでいた金次郎。
音も無く 文字も無けれど 天地 は
書かざる経を くりかへしつつ
書かざる経を くりかへしつつ
実際問題、自然の齎す感化は無限に等しい。しかしながらそれを汲み取れるようになるには、よほど心を磨かねば駄目だ――それこそ明鏡と見紛うまで。
刻苦精錬の果てに、尊徳はそれを獲得したに違いない。なんとなれば、彼は天才というよりも、尋常ならざる努力の人であったのだから。
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