少々話を先取りしたい。
前回の末尾でさも華々しくスタートを切った陸運元会社であるが、実際にこの社名が通用したのは明治五年から八年までと意外に短い。
何故か。
明治八年四月十三日の令により、内務卿大久保利通の名の下に、日本国内に点在するすべての陸運会社が強制解散に追い込まれたからである。
諸国各道に於ける陸運会社の儀は、多くは官の勧誘を以て結社候より、往々私会の体裁を失し不都合に付、本年五月十一日限り、総て解社申付候に付、此旨布達候事。(『国際通運株式会社史』120~121頁)
この災禍を免れた「例外」たるや、ひとり定飛脚問屋の末裔たる陸運元会社のみであった。
これにて国内の陸運事業はまったく彼らの独占に帰し、それはそれでたいへんめでたい展開なのだが、しかし看板と現実の間に齟齬が生じたのは見逃せない。
「各駅の陸運会社と連合して、其の
――ここは一番、よろしく社名を一新すべし。
そういうわけで、この新たな状況に即した名を選定する必要が生じ、最終的に内国通運会社の称が採用されるに至るわけだ。
一新したのは、社名のみにとどまらない。
この機に乗じ、社章も新たに整えられる。
最初内国通運会社では、日ノ丸の中に「通」の一字を白く抜いたデザインを以って己が社章と為す気であった。ところがこの草案を携えて駅逓寮に出頭し、前島密に許可を願うと、意外にも彼は一瞥するなり
「これでは何だか周囲が寂しい感じを受ける」
と言い出してあからさまに難色を示し、判子を押そうとしないのである。
「まあ見ておれ」
狼狽する社の使いをおもむろに制し、筆を取り上げ、暫らくその穂先を遊ばせていた前島だったが、やがて視線に力がこもると迷いのない手つきでこれを振るって、あっという間に日ノ丸の左右にアルファベットの「E」の字を書き加えてのけていた。
「どうだ」
莞爾として微笑しながら、前島はこの「E」の由来を諄々と説いた。
曰く、太平洋を隔てた先の米国では、目下アメリカン・エキスプレス・カンパニーというのが勢い甚だ盛んにして、国家の為に偉大な功績を挙げつつある。
「諸君らが模範とすべき対象として、これより相応しいものはないだろう」
じゃによって、須らく社章にEXPRESSの頭文字たる「E」を加えて業務に出精、彼らの如く我が
なるほど新帰朝組の前島らしい、至極ハイカラな考案だった。イギリスに渡り、列国の郵便・運送事情を皮膚で学んだ彼ならではの発想だろう。
頭取を務める吉村甚兵衛、副社長たる佐々木荘助にも異存はない。謹んでこれを押し頂き、斯くて
のマークを印した社旗が、日本全国、至る処の青空に翩々として翻る光景が現出する運びとなった(中心の🔴に白く抜かれた「通」の字は、どうか皆様方の脳内で補完していただきたい。己が技術力の至らなさを憾むばかりだ)。
以降、半世紀以上に亘ってこのマークは些かの変更も加えられぬまま用いられ、人々の網膜に親しまれた。
このあたりの機微を『国際通運株式会社史』の古色蒼然たる表現から拝借すると、
ざっとこのような塩梅になり、なんとも誇らしげな様子が目に浮かぶ。
現在の日本通運のロゴマークにも、明らかに当時の名残りが見て取れるだろう。
(Wikipediaより、日通ロゴ)
前島密が範に採ったアメリカン・エキスプレスはその後金融業へ舵を切り、クレジットカードの草分けとなった。略称の
これもある意味、「外国に追いつけ、追い越せ」の一典型だ。前島の鼓舞を大いに受けた内国通運会社は、国際通運株式会社、日本通運株式会社と度重なる改称を経ながら、しかし荷物を運ぶという根本的な業務内容に変更はなく、今日も忙しく道路上を行き来している。
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