穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―文献不足・壁の中の書―

 

【文献不足】

 


 詳しくは、「子曰、夏禮吾能言之、杞不足徴也、殷禮吾能言之、宋不足徴也、文献不足故也、足則吾能徴之矣」


 孔子夏の国の礼について、十分語ることが出来た。しかしながら夏の後に興った杞国については、詳しく検証することが出来なかった。


 また殷王朝の礼についても彼は通暁していたが、殷の後に隆盛したについては、やはり確かな研究を施せなかった。


 これみな今日に伝わる文献が、圧倒的に不足しているゆえである。もし文献が十二分に保全され、今日に伝わっていたならば、わしはそこから更に知見を深めることが出来ただろうに、惜しいかな――と、大意をまとめればこんな具合か。

 

 

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孔子

 
 まこと、書物とは貴いものだ。孔子の嘆きはもっともである。

 

 

からやまと かしこきあとを ならへとて
記せるふみぞ よろづ代のため
霊元天皇

いにしへの 文見るたびに 思ふかな
己が治むる 国はいかにと
明治天皇


 明治十一年の御製である。


 陛下の御齢、26歳前後であろうか。


 西南戦争が勃発し、西郷隆盛なる巨星が堕ちたその翌年。若き陛下が如何な想いでこの歌を詠んだか、その胸中に思いを馳せると、おのずと襟を正したくなる。

 

 

Meiji emperor ukr

 (Wikipediaより、明治天皇

 

 

古の かしこき道を 一すぢに
文見て国は 開きますらむ
岩倉具視

上つ代に ものせし仮字の ちらし書き
散り失せし事の 惜しくもあるかな
田中光顕)

見る度に 老の涙を そそぐかな
昔の人の 筆のすさびに
新続古今和歌集

 

 

【壁の中の書】

 


 上記に於いて杞や宋の文献不足を嘆いた孔子。そんな彼がみずからの死後、初めて中国全土を統一した秦の始皇帝の手によって、己の教えが記された書やそれを信じる学者たちが次々抹殺されたと知ったら、果たしてどんな顔をするであろうか。

 

きついもの 四百余州に 本がなし


 とか、

 

穴の中 これがほんとの シン真・秦の闇


 とか川柳子に諷された、悪名高き焚書坑儒のことである。

 

 

Qinshihuang

 (Wikipediaより、始皇帝

 


 この大弾圧の真っ只中で、しかし文献の貴重さを知る者たちは、なんとかこれを後の世代に繋がんと、実に涙ぐましい努力を重ねた。その結果、題に掲げた


――壁の中の書

 

 という言葉が生まれたわけだ。


 焚書坑儒の狂風去って久しい漢代のあるとき、孔子の旧宅の壁の中から、『古文尚書『古文孝経』といった書物が発見されたという故事である。
 これを題材にした川柳というのも数多い。

 

 

始皇帝 壁の中には 気がつかず

秦の闇 魯国の壁で 明るくし

何だかと 左官論語を 目附だし

壁にされ ても末世まで 書は照らし

壁やれて 野暮な理屈が 生れ出で
 

 

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