穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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仙境の嫁姑戦争

 

 いまさら言うに及ばぬことだが、大井澤村は田舎である。


 繰り返し何度も書いてきた、「仙境」という単語は伊達でないのだ。出羽三山の小天地、標高一五〇〇尺(およそ450メートル)の山峡やまあいに細長く軒を連ねる寒村――。
 世の風雲から切り離された土地であるといってよく、それが証拠にこの村では、志田周子が赴任した昭和十年の時点でさえも未だに五人組制度が現役で活用されていた。


 そう、五人組。


 言わずと知れた江戸幕府の農民統制政策で、一部では現在の「町内会」の原型と看做す向きもある。なるほど「原型」なだけあって、その拘束力はこんにちの町内会より遥かに強い。

 

 

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 大井澤村の住民たるもの、この自治組織に不参加でいることは許されない。もし違反すれば、古式ゆかしい村八分が待っている。


 旧幕時代のまま時が止まっているような、このような山里にあって嫁姑関係がいったい如何なる様相を呈すか、自ずと察しがつくだろう。
 まさしく時代劇中の情景そのものが展開されていたのである。

 


 村の嫁階級の人々で舅、姑のあるところでは、それこそ牛馬のやうにこき使はれ産気づくまで水田で働きつづけるので、子供に手がまわらないばかりか、早産する者も非常に多かった。そして、うっかりすると、栄養不良と過激な労働から、脚気や妊娠腎になって母胎をそこなふ者もある。
 さうした忍従と身にあまる重荷を背負った母胎から健全な子供が産まれるはづがない。たいていは先天的弱質で、乳幼児のうちに死んでしまふ。(『甦へる無醫村』174~175頁)

 


 周子が自らに課した目標、「乳幼児は絶対に死なさぬ」を達成するにはどうしても、ここへ手を突っ込んでゆかねばならない。


 しかしながらその困難は言語を絶した。なにぶん相手は枯れ木のような老婆たちで、とうに思考の弾力性を失っている。その上周子は「殺人的な過酷さ」と言い、妊婦の保護育児に専念可能な環境づくりの必要性を訴えるが、自分達はその「過酷な環境下」で子供を産み、一人前に育て上げてきた自負があるのだ。


 とどめとばかりに「野良仕事をすればするほど、胎の中の児は丈夫に育つ」というわけのわからぬ迷信までもが手伝って、姑どもの周子に対する悪感情は頂点に達した。


「いまの嫁衆は幸せもんだよ」


 と、聞えよがしの皮肉を言うのは序の口で、


「学校出たての乳臭い女に、何がわかるもんかい」


 と、面と向かって罵倒を加えた者もある。
 このときばかりはさしもの周子も総毛だつほどの怒りが湧いて、指先がすーっと冷たくなるのを感じたという。
 血の気が引くとは、まさしくこういうことだろう。それほどの激情。正味な話、一切合切なにもかもを放り投げ、都会へ去りたいという誘惑が兆さなかったといえば嘘になるに違いない。


 この時期に活躍していた「医師にして随筆家」の第一人者、高田義一郎の言葉を借りれば、

 


 医者だけが自分の全部であるとすれば、あんまりつまらない話であるし、「医者だから人間だ」といふのではなくて、「人間であるから、生活の方便として仮に医者の姿になって居る」に過ぎないのだ。いくら医者だからといって、処方箋や診断書ばかり書いて居るのはあんまり心細すぎる次第で、時には成るべく医者ばなれのした事もいって見たくなる。(『人体の趣味と神秘』、202~203頁)

 

 

GiichiroTakata

 (Wikipediaより、高田義一郎)

 


 ということだ。医者といえど神ではない。悪口に晒されれば腹も立つし逃げたくもなる。
 むしろそうする・・・・ことにこそ――嫌なことからはさっさと逃げ出し、自分一個の幸福のみを追求することにこそ――、人生の真の味わいはあるのだと主張する者とているだろう。


 だが、志田周子は結局そちらの道を選ばなかった。


 そうするには、あまりに責任感が強過ぎた。


――自分は既に手を突っ込んでしまったのである。


 妊婦たちに自愛するよう呼びかけて、それが世間一般では普通の風潮になっているのだと気分を煽って、共鳴者も多少得た。


 そんな「火付け役」たる志田周子が、今になってすべてを投げ出し、この村から雲隠れを決め込んだなら、残された人々はどうなるだろう?
 一度顕在化した対立はそう易々と引っ込まない。「元凶」一人が消えた程度で、かつての平静に回帰するなど夢物語だ。要は坂で荷車を押すのと同じこと、どんなに苦しくとも坂の上まで押し切らなければ、荷車は逆に押し手を轢き潰す。


――何百年も続く因習を断ち切ろうとしているのだ。一朝一夕でいかなくて当然、悪戦苦闘は覚悟していたはずではないか。


「医は仁術なり」という古諺の真意に改めて目覚め、志田周子は踏み止まった。
 雲烟遥かなこの仙境で、あくまでも闘って闘って闘い抜く道をこそ選択したのだ。

 

 

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 その意気に天も感応したか、やがて「戦局」は周子にとって有利な側へと傾いてゆく。
 とりわけ大きな要因は、志田つるよを味方につけたことであろうか。


 つるよ。


 漢字にすればおそらく「鶴代」の二文字が当てはまると思しきこの人物は、大井澤村で唯一の、産婆としての正規資格を持った女性に他ならなかった。


 経験豊富な老人ならば誰でも名乗れると誤解されがちな――実際江戸時代はそうであった――「産婆」だが、実は明治七年に発布された医政によって産婆の資格・役割等は明確に規定されており、その門戸はかつてほど緩くなくなっていた。


 よって大井澤村は長いこと、無医村どころか「無産婆」の村であったわけだが、明治三十年代のなかごろにこの志田つるよが郡の養成所へ通い、試験をパスしたことで、漸くその不名誉な状態から脱出できた。

 


 以来、村の赤子はずっとこの人が取り上げている。

 


 その発言力は極めて大きい。村の経産婦のほとんどは、彼女に頭が上がらないと言っても過言ではない。志田周子はこの志田つるよを説得し、ついに口説き落として妊婦保護活動の強力な後ろ盾にせしめている。後に婦人会長村会議員を歴任するだけあって、見事な政治力の発揮であった。

 

 

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