穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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道具悪用論


 言葉の誤用に異様に厳しい人がいる。


役不足」と「役者不足」を混用したり、「すべからく」を「ことごとく」的なニュアンスで使ったりなどした場合、何処からともなく湧いて来て、誤用者の無智を嘲り、罵り。過酷なること秋霜烈日の指弾を辞さない、厄介至極な連中が。

 

 

(viprpg『シェイディの葡萄踏み』より)

 


 まるでそういう生態の妖怪でも扱うみたいな言い草になってしまったが。──実際問題、どうにもこうにも自治厨的ないやらしさが立ち込めて、この種の手合いに対しては、蓋し好意が持ちにくい。


 細けえことはいいんだよ、重箱の隅をつつきまわすな。そんな風に一蹴したい衝動こそが筆者わたしの中で上回る。


 否、筆者独りに限らない。


 ちょっと書棚を参照すれば、同様の気質の持ち主は、随所に於いて見出せる。


 言葉など、しょせん道具に過ぎないと。意味さえ伝わりゃそれでいい、文法的な正しさや技巧なんぞは畢竟枝葉の問題と。肝心要はその奥に在る熱であり、魂の鼓動こそである、と。そんな風に割り切っている一部作家が、心強い応援だ。

 

 

フリーゲーム『うずまきねんび』より)

 


 相馬泰三が、今日のところの筆頭格といっていい。


 彼はいみじくも記してくれた、

 


厳密な意味で正確な言葉なんてものがあるであらうか。もし、あるとしても、考へるさへ、心が重く、堅く、冷たくなるやうな気がする。それに、大抵の場合、それほど正確といふことが必要ではないものである。それは、往々にして、我々に真価以上の労苦を強ひる。要もない議論に引入れたり、また、時によると、もっと悪いこと──不和──にまで導いてゆく

 


 と。


 実に見事な我が鬱懐の代弁ぶりではなかろうか。


 特に最後の「要もない議論に引入れたり」云々からなる一文は、所謂今日のレスバ文化の醜さを予見しているようでもあって色々考えさせられる。

 

 

 


 些細な瑕疵をここぞとばかりにあげつらい、論破々々と居丈高にさえずる手合いが憎らしい。本当、真実、神かけて、心の底から大っ嫌いなのである。


 水掛け論を終わらせるには熱湯を相手の顔にぶっかけるより他にない。


 便利な道具は大抵悪用されるもの。「言葉」もまた、例外たり得ぬのであろう。

 

 

 

 

 


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