「結石の美しさを知っているかね?」
これはまたぞろ、レベルの高い変態が出た。
阿久津勉という医師に、初対面にて筆者がもった、偽らざる印象である。
(Wikipediaより、尿路結石)
「結石は、尿道にこう、膀胱鏡を差し込んで、膀胱内に転がってるのを見るのがいちばん美しい。指輪やネクタイピンにでもしたいぐらいの煌めきだ」
断っておくが、
本当にこういう意見を述べている、悪びれもせず堂々と。昭和十三年に物した『尿路の石』なる、蓋し直截な題字の下の随筆で――。
「ところがいざ取り出して、乾燥させてみた場合、結石の美はたちまち消え失せ、むしろ汚らしさばかり増幅するから残念である。刹那のきらめき、と言うべきか。膀胱鏡越しにしか
実に特殊な美的
(Wikipediaより、膀胱鏡)
そんな阿久津
「それはもちろん、前立腺肥大で運ばれてきた、八十二歳の老人である」
……急に背中が痛みはじめた。位置からいって、腎臓付近だ。
なんとはなしに堪え難い思いが募るので、ここから先は、本人の言葉をそのまま引こう。
「特に記憶に残ってゐて美しかったのは、八十二歳の接護腺肥大の老人の膀胱の中にあったものである。二、三百個の小豆大の真赤な真珠とでも云ひ度いやうな小球が散在して、さながら海底の美しい風景をみるやうな気がした」
とのことだ。
勝手に自分の膀胱内部を真珠転がるエーゲ海に擬えられた、この老人こそいい面の皮であったろう。
とまれかくまれこの一文で、阿久津勉は私の中で、茂木蔵之助と同位同格の変態としてエントリーされる運びとなった。
左様、茂木蔵之助。
「病の味覚診断」という画期的な診察術を提唱し、実証のため外科手術の都度、摘出された肉腫を喰らい噛み心地を確かめた、慶応大学外科学教室・初代教授の彼である。
大正・昭和――ひっくるめて「戦前」という時間区分に活躍した医学者は、どうもこういう個性的な面子が多い。
自己の変態性癖を満足させたい一心で、「医」を志したんじゃあないか――。そんな風に勘繰りたくなる連中が。
そして得てして、そういう者ほど、腕自体は抜群に優れていたりするものだ。
当時に於ける評判もいい。好きこそもののなんとやら、大成するのに情熱は、やはり欠かせぬファクターか。
(viprpg『暗黒リカバー伝説』より)
「医術は医学に通じてゐれば出来るが、医業は人間味が医術を按梅するものであるから、医学だけでは完全に行かぬ。人造人間に医術は出来ても、医業はうまくさせられまい」
高田義一郎の箴言である。
末尾に引いておきたくなった。これは彼の盛時より、現代社会に於いてこそ重い響きを持つゆえに。思えば高田先生も、変わり者と言うべきか、性格上に結構な偏りを持っておられた人だった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓