作品から作者自身の性格を推し量るのは容易なようで難しい。
あんな小説を書いていながら紫式部本人は身持ちがおっそろしく堅い、ほとんど時代の雰囲気にそぐわないほど頑なな、あらゆる誘惑を撥ね退けて貞操を断固守り抜く、まるで淑女の鑑のような御人柄であったとか。
(viprpg『かけろ!やみっち!!』より)
少なくとも与謝野晶子はそう信じていた。日本で初めて『源氏物語』の現代語訳を成し遂げて、しかもそれでも飽き足らず、『紫式部日記』すら新約せんと試みた、そして現に果たしたところのこの人は、ほとんど崇拝の領域で紫式部に親炙しきっていたらしい。
まあ実際、原著に対する愛が無ければ良き翻訳など到底望めぬモノだろう。納得のいくことだった。
晶子曰く、宣孝と結ばれる以前にも、また彼に先立たれて以降にも、紫式部は夫と決めた人以外、身をゆるすことは有り得なかった。相手がたとえ当時に於ける実質的な最強者、藤原道長であろうとも、例外ではなかったのである。
このあたりの消息につき、本人の言葉で表現すると、
「宣孝以前にもまた其歿後にも紫式部に懸想した男子は多かったと思ひますが、紫式部が毅然として其れを斥けたのは道長一人に対してばかりで無く、三十七年の生涯に宣孝以外の男子に向って毫も許す所がありませなんだ」
断定である。
相も変わらず、小気味よい断定をする人だ。
鉈を用いて、丁と薪を打つような、そういう清々しさがある。
晶子の語りは止まらない。紫式部についてなら、いくらでも喋る内容を持っていた。
「之は『女は自由意志で無くて、うっかり人に身を誤られる危険のあるものであるから、自重して堅く守ることが大切である。軽率と放縦とは品格を失ふことである』と云った紫式部の聡明な理想の然らしめた所であるのは勿論ですが、」――勿論なのか。常識のレベルだったのか。知らなかったそんなの――「文学の著作に傾倒して現実以上の『美』を想像の世界で経験して享楽して居る人には、現実の世界に理想通りの恋の対象を求めることは容易で無かったし、また其れを求めることが
ページ越しにも拘らず、百年以上の時間的距離があるというにも拘らず。――一気呵成に耳元で、まくし立てられた印象だ。
なんというか、圧倒される以外ない。
呆然として、一時的にも虚ろになった精神に、どこからともなく橋田東聲の声がする。
「人ひとりを十分に愛すのは容易でない。完全に愛し切る事は殆ど不可能の事だ。多くの人には、そこに油断がある。愛は努力だ」
紫式部という人は、この不可能事を成し遂げた、実に稀有なる努力の人であったのだろう。
(永遠の絆)
むろん、あくまで「与謝野晶子の解釈に則ることを前提に」との、但し書きが付くのだが。――晶子の熱にあてられたのか、筆者個人の所感としても、
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