穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

夢路紀行抄 ―今年最後の夢模様―


 夢を見た。


「今日でよかった」、心の底からそう思わされる夢である。


 私は山の中にいた。


 雪が積もっている。膝の上までゆうに没する。完全な冬山の景である。

 

 

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 いとも容易く人を呑み込む山中異界。斯くの如き危険地帯をなにゆえ進んでいるかというと、理由はすべて己自身の迂闊さにある。


 麓の世界で馬鹿をやった。血気に逸って新撰組に切り込んで、しかも返り討ちに遭い、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。


 近藤勇に幾度か太刀を浴びせたものの、猫の毛一本ほどしか減らぬ彼のHPゲージを目の当たりにして、ああこりゃ駄目だといっぺんに気組みが挫けてしまった。


 せめて相手を退かせていたなら仲間内の評判もよく、俺のところで庇ってやるよ、しばらく息を殺してろと声をかけてもくれただろうが。こうも無様を晒した以上、期待するだけ愚かだろう。


 結果、こうしてただ独り、銀世界を掻きわけている。

 

 

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 平地に身の置き所がない以上、頼れるのは山以外に有り得ない。


 少なからぬ歩数を重ねた。


 そうするうちに十人足らずの幼童と、それを率いる初老の紳士にかち合った。


 訊けば地元の小学生と、校長先生であるという。


 これも何かの縁でしょうと頷き合って、同道することにした。


 先頭には私が立った。いちばんの男盛りである以上、当然の判断であったろう。臍下丹田を意識してラッセルに勤しむ。

 

 

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 やがて開けた場所に出た。


 窪地があって、その真ン中に巨大な繭が鎮座している。


 七色に発光しているあたり、どう見てもこの世の存在ではない。


「どうです皆さん、これがドクターマリオの繭ですよ」


 と、校長が生徒らに説明していた。


 ゴジラキングギドラにも殴り負けない、日本が誇る怪獣なのだと。


 イタリアの配管工が、どこをどう取り間違えてこのような生態になったのだろうか。カオスの極みといっていい。もしこの夢が一日ズレて、つまりは明日、令和四年一月一日の初夢だったりしたならば、それこそ私は名状し難い珍奇な表情かおを作る破目になったろう。


 理解不能意味不明の反動として、明日はこう、何というか分かり易い、富士の裾野で鷹狩り装束の家康公に手ずから茄子をいただくような、とびきりの吉夢を見てみたい。

 


 徳川家康が晩年、駿河の府中城に隠居所を定めた時、此地には富士の山がある。之は三国無双の名山で、何時見ても飽かぬ。良い鷹が居る。自分は放鷹を好むから、良い鷹の居るところがよい。良い茄子がある。時候が温かいから早く出来る上に、味も良いと言ったので、一富士二鷹三茄子の話が出来たと言ふ事だ。
 徳川時代、今の清水市なる下清水村で出来た茄子を、府中城代から江戸の幕府に献上していた。今日でも久能には促成の苺が出来る。(昭和三年『随筆東海道』20~21頁)

 


 波多野承五郎もこのようなことを書いている。決して突飛な願いではなかろう。

 

 

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 では、ここまでお付き合いくださった心優しい皆様方の夢の中にも富士の裾野と徳川家康、日本史に冠たるこの大英雄大威霊が出現あらわれることを祈願して、本年度の締めとする。


 良いお年を。

 

 

 

 

 


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