穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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シベリアの夢、薄れぬ記憶

 

 

「シマッタ、ここはシベリアだ。俺は確かに日本へ帰っていたはずなのに、またシベリアに来ている。何とかして日本に帰らねば……遥か向うを見ると収容所が点在している。そして多くの日本人がこちらを見ている。戦後三〇余年、日本は随分と変った。このことをあの戦友たちに伝えよう、それから何とかして日本に帰ることを考えよう、と思いながら収容所の中に入って行く……」
 そして目が覚める。引揚げ三〇余年を経た今日でもこのような夢をよく見る。こちらを見ている多くの日本人たち、それは凍土に白骨と化した戦友たちの霊魂かも知れない。(『シベリア抑留体験記』281~282頁)

 

 

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 シベリア抑留は被害者の精神・肉体両面に、果てしなく深い傷を残した。


 帰国から数十年を経てもなお、眠るたびラーゲリに逆戻りしている己の姿を発見し、監視塔を睨め上げながら日本に帰りたいと希う。そんな報告が数多い。


 無茶な労働の所為であろうか、骨格に著しい歪みが生じ、日常生活に不便を来した者も居る。


 凍傷により指や鼻がもげた例など、もはや数え切れないほどだ。悪いことに抑留二年目の冬、シベリアは未曾有の大寒に襲われている。チタ市に於いて零下六〇度を記録するという超酷寒は満洲で「寒さ慣れ」したと思い込んでいた日本人をこれ以上なく打ちのめし、ロウソクでも吹き消すような容易さで、次々生命いのちを奪っていった。

 


 千人中、約半分の五〇〇人ぐらいが凍傷にかかっていた。設備もなく、器材、器具、薬品もない原始的な手術であった。麻酔薬もなく、無造作に手足の指を切断された。片手を切断されたらしい、若い飛行将校の痛ましい叫び声が胸にうずいた。廊下には切断された手足の指が、無造作にうず高く積まれていた。(99頁)

 

 

Various scalpels

 (Wikipediaより、各種メス)

 


 そういえばかの細川親文軍医なども、この「原始的手術」を経験している。


 もっとも彼の場合、切られる側にあらずして、切る側での経験だったが。驚くべきことに、彼の収容所では麻酔どころかメスすら備えていなかった。外科手術は、専らカミソリにより行った。


 特に記憶に残っているのは、盲腸の兵士の手術オペである。執刀の際、彼が発した叫喚たるやこの世のものとは到底思えぬ激しさで、地獄の亡者もたじろぎかねない、「悲痛」そのものであったという。


 かと言って、収容所には患者の痛みを和らげる酒もモルヒネもないのである。


 細川軍医は、さぞや口惜しかったことだろう。戦友を拷問にかけている気にすらなった。

 

 

Rasiermesser

 (Wikipediaより、西洋カミソリ)

 


 魂を絞り出すような無数の叫びは彼の鼓膜に滲みついて、帰国を果たした後だろうとも折に触れては色鮮やかによみがえり、容易に忘却を許さない。


 トラウマとは、忘れられないからこそトラウマなのだ。 


 平和な世界で何十年過ごそうと、捕虜になっていた数年間が薄められない。むしろこうして安穏と在る今こそが、どこかそらぞらしく、虚像のように感じてしまう。後の人生の印象を一変させてしまいかねない、凄絶極まりない体験。だからこそ抑留者たちの文章は、一文字一文字こちらの肺腑を動かさずにはいられない、何か名状し難き迫力がある。

 


 終戦、敗戦(全面降伏)による武装解除、捕虜生活、強制労働、即ち強制抑留は文明時代でもなお戦勝国の特権か。ソ連のためだったのか。敗れた国の責任か。不可解なり。(329頁)

 

 

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 骨を噛むシベリアの風雪は、彼らの時間の一部をさえも凍らせて、停止とめてしまった観がある。


「鎖とむちの土地」は、決して日本人と無縁な場所では有り得ないのだ。このこと、いくら繰り返してもしつこい・・・・というには当たらない。

 

 

 

 

 


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