穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

隼の特攻 ―占守島血戦綺譚―


 三十余年を過ぎてなお、その情景は細川親文軍医のまぶたに色鮮やかに焼き付いていた。


 敗戦の前日、昭和二十年八月十四日の朝早く。彼の勤める第十八野戦兵器廠チチハル本部の営門に、魔のように飛び込んだ影がある。


 将校一人と兵卒三人、いずれも埃まみれの軍服を着て、顔面を戦塵でどす黒く染めた、関東軍の面々だった。


「部隊長はおるか。砲をくれ」


 一晩中馬を飛ばして来たのだろう。既に表情に鬼気がある。両眼を爛々と光らせて、将校は吼えるように呼ばわった。


「一〇サンチでも一五でもよい。三門でもよい。今すぐだったら興安嶺山脈でソ連軍を直撃できる。必ず食い止める。たのむ」

 

 

Type 14 10cm Cannon

 (Wikipediaより、十四年式十糎加農砲

 


 去る八日、ソ連大日本帝国に宣戦を布告。翌九日午前一時を潮として、「八月の嵐」と名付けられた対日攻勢作戦を開始している。


 餓狼の如き赤軍が、雪崩となって振り落ちて来たのだ。


 戦局の悪化に伴って方々に戦力を抽出された関東軍に、もはや抗う術はなく。至るところで彼らは敗れた。


 とある赤軍部隊など、わずか3日で450キロを進撃した記録すらある。無人の野を征くが如しとは、こういうことを言うのだろう。


 この兵器廠も爆撃を受けた。


 つい昨日のことである。遥か蒼穹の彼方から轟然と飛来した爆撃機。鋼鉄の巨鳥が雨アラレと降らせていった爆弾により、弾薬庫は跡形もなく吹っ飛んで、「百雷のような音、真っ黒な煙が幾百メートルも上空に舞い上がった」。(昭和五十六年発刊『シベリア抑留体験記』22頁)

 

 

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 その間、基地からはこれといった反撃も行われていない。


 行えなかった、といった方が正確だろう。対空砲も何もなく、せいぜい支那事変帰りの下士官重機関銃を空に向け、めくら滅法に撃ちまくっているだけだった。


 高高度を飛ぶ爆撃機にしてみれば、豆鉄砲とさして脅威は変わらない。すこぶる落ち着いて任務を果たし、悠々と巣に帰って行った。


 ――わかってくれ、砲は一門もないのだ。


 事情を告げられた将校は、声を上げて男泣きに泣いたという。


 戦争末期の日本軍には、この将校の同類があらゆる戦線に無数に在った。


 そんな彼らにしてみれば、占守島の隼などはまさに理想の体現として、羨望の対象であったろう。

 

 

Shumshu

Wikipediaより、占守島) 

 


 占守島


 しゅむしゅとうと読む。


 千島列島北東端のこの島にソ連が侵攻をかけたのは、終戦の大詔が響き渡って三日後の、八月十八日のことだった。


 ポツダム宣言の受諾に伴い、弾薬を海に投棄したりと武装解除にいそしんでいた守備隊にとって、これほど意外なことはない。事実、夜霧に紛れて上陸を狙う先遣隊の舟艇を、海岸線の監視兵はきれいさっぱり見逃している。


 この期に及んでソ連が攻めて来るなどと、夢にも思っていなかったに違いない。完全に虚を突かれた形であった。


 にも拘らず、ひとたび事態の察知に至るや直ちに猛然たる反撃を行い、またたくまに屍の山を築き上げ、とあるソ連の新聞をして

 


満洲、朝鮮の戦闘よりも損害は甚しい。八月十八日はソ連人民の喪の日である」(昭和二十八年発刊『秘録大東亜戦史 原爆国内篇』34頁)

 


 とまで報道せしめた日本軍の対応能力は評価されるに値する。

 

 

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占守島の海岸)

 


 このとき占守島に残されていた航空戦力はわずかに八機。九七式艦上攻撃機一式戦闘機「隼」とが、ちょうど半々の四機づつという内訳だった。


 北海道新聞旭川支社報道部次長山口武光は、「隼」について以下の通りに書いている。

 


 片岡飛行場に残っていた陸軍の隼戦闘機はわずかに三機だ。吹雪や霧の中に鍛えて、アメリカ機の来襲にも偉勲をたてた第五十四戦隊の残留機であるが、いずれも紅顔の飛行兵だった。(33頁)

 


 この三機に出撃命令が下ったのは十八日の午後一時。目下、ソ連軍の上陸地点となっている竹田浜からおよそ島の反対側の、片岡湾目指して航行中のソ連船団撃退が任務であった。


 上陸を許せば、挟撃の危機が濃厚になる。


 さすれば島の守備隊などは、すり鉢に投げ込まれた胡麻さながらに、このせまい島の中で磨り潰される破目に至ろう。


 何としても阻まねばならない船団だった。

 


 隼は、命令一下爆弾を胸に抱いて飛びたった。船団は白い航跡を残して逃げだした。機上から掃射する機銃と艦船から射ちあげる機関砲の落下で海上は豪雨のようにしぶきがたった。一機がみるみる急降下の姿勢をとった。陣地にいた将兵が思わず息をのんだ。ある隼が爆弾を抱いて体当たりを敢行したのだ。大音響とともに駆逐艦は爆破した。
 隼の体当りに上陸作戦をあきらめた船団は、あわてて霧の中に逃げこんだ。爆破した駆逐艦は、間もなく沈んだ。(同上)

 

 

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 空中でも地上でも日本兵は死に物狂いで――まったく文字通り死に・・物狂い・・・になってまで――奮闘し、結果どさくさ紛れに北海道まで奪わんとしたスターリンの魂胆は、大きく挫かれることとなる。


 島には現在でも戦車や大砲、不発弾、そしてなにより白骨が夥しく遺されて、かつての死闘の有り様を如実に留めているという。


 英霊の絶叫は、未だ鳴り止んでいないのだ。

 

 

 

 

  


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