ワシントンの誕生日にまつわる小話でもしてみよう。
平岡熙の例の逸話に触発されての試みである。
「アメリカ建国の父」として不朽の名を青史に刻んだこの人物が誕生したのは、1732年2月22日、今で云うバージニア州ウェストモアランドに於いてであった。
それから半世紀ばかり時間を飛ばして、1784年2月22日。
ワシントンが52歳を迎えたこの日、一隻のクリッパー船がニューヨークを出航している。
船名は、エンプレス・オブ・チャイナ号。
持ち主の名はロバート・モリス。
やがて米中貿易の草分けとして語り継がれる、一番最初に両国間を往来した商船だった。
積荷はおよそ50トン。うち10トンを毛皮・呉絽・綿花・鉛・胡椒等が占めており、では残り40トンは何かというと、これがニンジンだったというからなんとも意外な感に打たれる。
もっともニンジンとは言い条、爽やかなオレンジ色をした、食卓の常連たる例のセリ科野菜をイメージしてもらっては困る。
正確な名はアメリカニンジン。ウコギ科に属する薬用植物の一種であって、根がときに人の形に似るあたり、マンドレイクにむしろ近い。
主な効果は滋養強壮、解熱鎮静。アメリカ人にとってはニューイングランドやウェストバージニアの山中に簇生する雑草に過ぎないこの植物が、しかしひとたび海を越え、支那大陸に持ち込まれるや生薬の原料としてひどく珍重されるのだ。
八年続いた独立戦争の傷痕深く、疲弊しきった国力の回復にあくせくしているアメリカにとって、これほど好都合な輸出品は他にない。原価はほとんどタダに等しく、単に運びさえしたならば、金貨の山へと化けるのだから。
(Wikipediaより、ウィスコンシン州のアメリカニンジン畑)
船は喜望峰を経由して広東に向かった。
この当時、アメリカは未だ13洲。大西洋とアパラチア山脈とに挟まれたほんの僅かな――後世の視座からすればまったく僅かな――範囲を占有しているに過ぎない。
当然太平洋航路など夢物語以外のなにものでもなく。エンプレス・オブ・チャイナ号はまずアフリカ大陸最南端を経由してインド洋に突入し、それから漸く太平洋に入ったわけだ。
その航行期間中、積荷の監督を行ったのは海軍少佐ショーなる男。ワシントンの良き友であり、独立戦争で勇戦したこの人物は、やがてワシントンが大統領に就任すると、広東領事の大任を拝命している。
この一事からおよそ察しはつくであろうが、エンプレス・オブ・チャイナ号は成功した。
無事広東に到着し、積荷を捌き、代わりに紅茶・緑茶・麻布・陶器・絹等々を積み込んで、ニューヨークに戻ってきたのが翌年5月。投資額12万ドルに対して、純益3万3千ドルを叩き出すという文句のつけようがない黒字ぶり。成功も成功、大成功と評してよかろう。
このエンプレス・オブ・チャイナ号の成功が、アメリカの対中貿易熱を大いに煽った。
一攫千金を夢見る勇者が殺到し、彼らはときに60トンの小型船を操ってでも万里の波濤に挑んだという。
自己の運命を、実力で以ってこじ開けようとしたわけだ。
なんともはや、野気に溢れる時代であった。
アメリカニンジンはその後中国でも栽培されるに至ったが、品質では今一歩「本場の品」に及ばぬらしい。
最高級の栄冠は、ウィスコンシン州のそれにこそ相応しいとの評判である。
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