穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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欲界の覇者


 富に対する、まるで猛火のような情熱、人の欲念の果てしも・・・・なさ・・を感じたければ、十九世紀アラスカの方を視ればいい。


 一八六八年――この「冷蔵庫」を合衆国が買収したつぎのとし。ヤンキーどもは早速やった・・・プリビロフ諸島に乗り込んで、オットセイを殺戮すること二十四万頭もの多きに及んだ。


 もちろん皮を剥ぐためだ。


 この鰭脚類の纏う毛皮は、加工によって優秀な防寒着に化けるのである。

 

 

 


 それを目当てに、ロシア領であった以前は禁制だった銃まで使い、アメリカ人らは手当たり次第、効率的に狩りを遂行し続けた。


 そう、禁制・・帝政ロシアはオットセイの個体数の調整に、割と、案外、熱心だった。十八世紀の発見当初、勢いに乗じてやり過ぎたという反省が彼らの中にもあったのだろう。雌は獲るな、争いに敗れハーレム形成にしくじった弱い雄だけをターゲットにせよ、それにしても銃は使うな。そういう規制を張り巡らせて、厳しく遵守せしめた結果。オットセイの個体数は二百万頭のラインに於いて、安定して保たれ来ったものだった。


 ところがアメリカ人という、この新しいご領主様は、そういう歴史のすべてを無視した。


 盲滅法としかいいようがない。雄雌老幼のべつなく、オットセイの形をしているぜんぶが狩りの対象だった。


 結果がつまり二十四万頭である。総数の実に一割を、たった一年で獲ってしまった。


 しかも市場は、まだまだオットセイの毛皮を求めて奔騰している。


 アパレル系の強さというのを垣間見る気がするではないか。


 鉄板も鉄板、廃れを知らぬ不滅の産業。そんな錯覚さえ起こす。


 獲れば獲るだけ金になる。ならば拝金宗のメッカたる星条旗の国民が、躊躇逡巡するはずもなし。フィーバータイムは持続した。

 

 

Alaska Purchase (hi-res)

Wikipediaより、アラスカ購入に使われた小切手)

 


 そういうところへ、更に科学が拍車をかけた。オットセイの生態に興味を抱いた動物学者が執念深い研究の末、ついに彼らの習性を――「回遊」の謎を闡明したのだ。


 といって、あくまで一部・・でしかない。何故そうするかは相も変わらず不明だが、少なくとも何処を泳ぐか、定められた経路については突き止めた。「秋が来ると、プリビロフを後にして、アリューシャンの島々の間の海峡を通って南へ下り、春がくるとオレゴン州の沖合を経て、海岸伝いに北上し、六月頃にベーリング海に入り、古巣に納まると云ふ道筋を取るのである」『あらすか物語』)。そして毛皮業者にしてみれば、この段階でもう既に、価千金と看做すには十分すぎる情報だった。


 ――いつ、何処を通るか見当がついているならば、待ち構えて捕獲するのも容易であろう。


 斯様な発想に基づいて、アメリカ人は新機軸を切り拓く。


 オットセイの沖合捕獲のはじまりである。


 上述の通り、オレゴン州ワシントン州の沖合を通過するところを狙いすませば、態々プリビロフ諸島まで――ベーリング海のど真ん中まで出向く苦労も払わずに済む。

 

 

(プリビロフ諸島の位置)

 


 寒さにふるえる必要も、輸送のコストも省けるし、いいことづくめな手法であった。


 やらない理由を見つける方が難しい。


 流行は、もう必然だった。「かうした沖取漁船が段々に増加して行って、一八九四年には百十隻に達し、捕獲高は実に十二万一千百四十三頭に上」るという、ある種壮観を呈すに至る。


 もっとも狩られるオットセイにしてみれば、ただただ厄災なだけであり、壮観だの何だのとふざけんじゃねえという話だろうが。


 まったくべらぼうな濫獲である。これでは「如何に無尽蔵を誇ったオットセイでも堪ったものではない。種族の絶滅は、目に見えてゐた。そこで政府は捕獲制限法を発布したが、沖取業者は、カナダの国旗を掲げ、監視船の眼を晦まして、相変わらず荒稼ぎを事とした


 なんときらびやかなアウトローの精神だろう。


 西部開拓時代の混沌は、どうも、どうやら、大陸内部にとどまらず、大海原の上にまで溢出していたものらしい。スティーブン・アームストロングの掲げた理想、「真の自由」サンズ・オブ・リバティの具現であった。

 

 

 


 虎狼をも凌ぐ貪婪な欲。


 それを遂げるためならば、どんなことでも仕出かしかねない見境のなさ。


 そういう資質を備えたやつを、歴史は往々、強者と呼んだ。


 当然である、現世このよは欲界なのだから。


 欲こそ意志を支える柱、欲の多寡こそ生命いのちの強さ。であるが以上、強欲な者ほど優位な場所へ、イニシアティブを握るのは、自明の道理に違いない。

 

 

 

 

 


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