大正九年のお話だ。
帝都は水に苦しんでいた。
「水道、まさに涸れんとす」――ありきたりと言えば
(江戸東京たてもの園にて撮影)
当時の市長、田尻稲次郎は事態を重く見、市民に対して犠牲心の発露を願う。トンネルの出口が見えるまで――解決の目処が立つまでの間、「娯楽目的の水道利用」を禁止すると声明し、ために深川あたりの労働者らは満足に体も拭えなくなり、必然毛穴は閉塞し、皮膚の痒みで夜もまともに眠れない、散々な目に遭わされた。
皇居御苑を筆頭に、各地公園の噴水も軒並み停止させられる。節水、節水、節水で、堅っ苦しい雰囲気が帝都に覆いかぶさった。
然るにだ。この状況下で弛緩している者がいる。
周囲の苦悩も知らぬ顔の半兵衛で、自分たちだけ太平楽を謳歌する、げに不届きな
金持ち、富豪、億万長者――そのように呼ばれる連中である。
「いちばん金を唸らせているあいつらが、いちばん非協力的だった」
辞儀も忘れて毒づいたのは、新帰朝の若手官僚、長岡隆一郎なる男。
齢三十六にして内務書記官と内務監察官の二役を兼ねてのけていた、将来有望株である。
(Wikipediaより、長岡隆一郎)
実際のちに警視総監や関東局総長等を歴任するにまで至る、――この人物の当時に於ける発言をそのまま引かせていただくと、
「…然るに都下の富豪の庭園には常に水が満々と湛へてゐる。
市役所の職員が其の水を止めに行くと反対に叱り飛ばして追払ふといふ傲慢な態度であった。東京市の富豪にとりては市民よりも自分の池の鯉や鮒の方が大切なのであらう。此の現象は社会主義者が百度主義の宣伝をやるよりもより以上危険極まるものである。
自分は是等の罪を犯した富豪の名を一々槍玉に挙げる事が出来るが今度丈けは名前を発表しない、然し若しも又此後にこんなことを繰り返すやうなことがあったら容赦なく世間にさらけ出す積りである」
問題の本質を見抜く眼力、脅威と寛容、社会的制裁を仄めかしての圧の掛け方。
一級品だ。全体的に、よく練られている印象である。カミソリみたいな
衛生局医務課長・野田忠広。
『牛乳讃歌』の彼といい、内務省にはやはり天下の秀才が集結していた印象だ。官庁の中の官庁、嘗て大久保利通に「国の国たるゆえんのもと」と定義付けられ創立せられただけはある。
結構至極なことだった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓