たぶん、おそらく、十中八九、畸形嚢腫なのだろう。
にしてもなんてところに出来る。
時は昭和五年、秋。山口県赤十字病院は佐藤外科医長執刀のもと、二十一歳青年の睾丸肥大を手術した。
患者にとっては十年来のわずらいになる。
十歳のころ、初めて股間に違和を覚えた。
小さなしこりに過ぎないが、確実に「何か」がそこにある。少年が成長するにつれ、「何か」も併せて体積を増し、少年から青年へ、身体が
(Wikipediaより、各種メス)
佐藤医師はベテランである。
なんてことない、簡単な
ところが豈図らんや、いざ切ってみたらどうだろう。
伊予柑並みに膨れ上がった患者の陰嚢内部には、人の胎児が詰まっていたから大変である。否、表現により正確性を期すならば、胎児のパーツと呼ぶべきか。
筋肉、毛髪、皮膚、骨、歯――。そういうモノが、よりにもよって玉袋の内部から溢れ出たから堪らない。
助手の中には、危うく腰を抜かしかける奴まであった。
畸形嚢腫、胎児内胎児。
本来双子になるはずが、なにかしらの要因で片方が発育に失敗すると、もう片方の肉体に取り込まれた状態で生まれてくることがある。片割れの中で、寄生的に栄養を吸い、不完全な発達をずっと継続することが。
(昭和の産室)
人体の神秘、運命の無情。えげつないまでの生命のふてぶてしさを感じずにはいられない、この現象が日本社会に常識のレベルで浸透するには、手塚治虫を、『ブラック・ジャック』を、ヒロインピノコを俟たねばならず、昭和五年の彼らに対し、どうか冷静な反応を――と、期待するのは無理だった。
事態はやがて「睾丸から胎児が生まれた」云々と極彩色の潤色を施されて伝えられ、猟奇趣味の連中の、あくどい興味をずいぶん
果して患者は、玉袋から出た
克服するには知らねばならぬ。意志は智により磨かれる。「漫画の神様」の功績は、蓋し偉大と言わざるを得ぬ。
日本が未だ多産国家だった時代の奇話だった。
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