穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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ドイツに学べ ―牛乳讃歌―


「日本人はもっと牛を飼わなきゃイカン。牛を殖やして、殖やしまくって、肉も喰らえば乳も飲め。そのようにして西洋人と渡り合うのに足るだけの、丈夫な身体を作らにゃイカン」


 維新成立早々に、社会のある一部から盛り上がった掛け声だ。


 畜産を盛んにせよという、つまりはそういう趣旨である。

 

 

(北大農学部の牛)

 


 御国のためなら是非もなし。「追いつけ・追い越せ」精神を色濃く反映しているだけに、官民問わず賛同者は多かった。


 福澤諭吉も、その顕著なる一人であろう。

 


牛乳の功能は牛肉よりも尚更に大なり。 熱病労症等、其外都て身体虚弱なる者には欠くべからざるの妙品、仮令何等の良薬あるも牛乳を以て根気を養はざれば良薬も功を成さず。 実に万病の一薬と称するも可なり

 


 腸チフスによる衰弱を牛乳により癒したという実体験があるだけに、先生、語りに熱がある。


 他には大久保利通なぞも、内務卿としてその方面に力を致していた筈だ。


 時間を飛ばして年号変わり、大正時代に至っても、方向性は変わらない。

 

 

 


 内務省は相も変わらず、牛乳の普及に努めてる。日本人に馴染ませようと苦心していた形跡が、衛生局医務課長、野田忠広の発言中に窺える。

 


一体牛乳は国民保健上欠くべからざる栄養飲料であるから極めて廉価に一般国民に需要し得らるゝやうにしなければならぬ、然るに我国の牛乳は非常に高価で中流以上の人でなければ常に飲用することが出来ない有様である、ドイツの如きは如何な貧民でも牛乳を飲用せぬものはない、之は要するに価格が安いからである、正確には記憶せぬがドイツの牛乳は一合二銭以下で殆ど我国の半額にも当らぬ」

 


 大衆が求めているものは、常に安くて・・・良いもの・・・・だ。


 横着者めと言いたければ言うがいい、それでも事実は変動うごかない。


 セガサターンをたった一言で葬った、スティーブ・レースの「299ドルだ」――初代プレステの値段発表――は、何故あそこまでの破壊力を持てたのか? 何故ああまでも劇的効果を演出したか? ちょっと考えれば必然として見えてくる。


 だからそう、野田忠広の着眼点は、実に当を得ていよう。

 

 

旧中央合同庁舎第二号館

Wikipediaより、内務省庁舎)

 


 話は更にこう・・続く。

 


「然らばうすれば廉く飲めるかと云ふに之は大に研究を要する事で、営業者側から云ふと需要者が少いから自然高くなると云ひ又需要者に云はせると高いから飲めぬと云ふ何れも一理がある、基盤が鞏固で国民衛生を主眼として営利を第二とした一大牛乳会社を出現さして牛乳代を廉くしたらどうかと思ふ、ドイツのベルリンにボルレ会社と云ふ此種の大会社があって三四百台の馬車や自動車で極めて迅速に配達して居る、斯る大規模の会社組織となると各種冗費が省かれ営業費が著しく軽減される、結果は牛乳が低廉に販売されるやうになるのである」

 


 ――以上、大正六年に、世に表された意見であった。


 西紀に直せば一九一七年だ。


 欧州大戦酣なる時期である。


 戦車に飛行機、毒ガスと、人が人をまとめて殺す能率が天井知らずに向上している時期である。


 大日本帝国は帝政ドイツに宣戦布告、青島を攻めたり商船を沈められたりと、交戦状態真っ盛りな頃である。

 

 

 


 戦時中に敵性国家のメソッドを学ぼうとする柔軟さ。且つ、そのことを大っぴらに叫ぼうと、なんら咎められない空気。


 大東亜戦争時局下にては、まず望み得ぬ光景だ。


 大度と感心するべきか、あいやそれとも、当事者意識の欠落をもどかしがるべきなのか?


 多くの日本人にとり、第一次世界大戦がどういう感触だったのか。――どんな印象のいくさであったか、こんな些細な点からも、おおよその見立てはつくものだ。

 

 

 

 

 


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