穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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便所と大臣


 文部大臣多しといえど、学校視察に向かう都度、便所の隅まで目を光らせて敢えて憚らなんだのは、およそ中橋徳五郎ぐらいのものであったろう。


 話は尾籠に属するようで若干引け目を感じるが、これは至って真面目なことだ。


 少なくとも中橋大臣本人は、猟奇趣味にも変態性欲を満たす為にもあらずして、己が職務を全うするのに不可欠なりと判断し、この上なく真剣に、信念を持ってやっていた。

 

 

フリーゲーム『操』より)

 


 なんでも彼に言わせれば、便所の壁こそ学生が、もっとも赤裸に、明け透けに、言論戦を展開できる場所なのだとか。なるほど確かにSNSも、電子掲示板すらも未発生な彼の時代。心の澱を吐き出す場所は現代よりもずっと限定されていた。手段の面でもアナログたらざるを得ない。そのあたりを考慮に入れれば、中橋の弁にも一理ある。


 だから便所のチェックほど、そこの校風を掴むのに手っ取り早い業はない。――そんな認識に立っていた。


 手法の正誤はともかくとして、仕事のためなら泥土どころか、もっと汚い糞尿塗れも厭わない、捨て身の熱意は感心するに値する。俺は大臣様だぞとお高くとまってふんぞり返り、現場の苦労にゃ無関心。しかもそのくせ部下の手柄を掠める手腕うでだけやたらと発達してやがる、寄生虫より百倍マシだ。


 イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏とは大いに気が合うことだろう。

 

 

Tokugoro nakahashi

Wikipediaより、中橋徳五郎)

 


 同時代にも理解者は居た。


 松波仁一郎法学博士が、その最大手と言っていい。


 随筆に於いて彼は云う、

 


原敬が内閣を組織した時、中橋徳五郎は入閣して文部大臣になった。その中橋は高等学校を濫設したり官立大学を簇立させる様なヘマをやり、或は又荘厳なるべき学校の卒業式の祝辞を『であります』なぞと茶化したりして識者の顰蹙を買ったが、一つ感心な事をして範を後世に垂れた。それは男女学校の便所視察である。…(中略)…全体にアノ個所程学生が自由自在に天然自然の思想感情を流露する所はない。故に自己の職責を知りて学生の訓育に忠実なる校長や首席訓導は大に此の所に注意して教育の参考資料を得べきである

 


 と。

 

 

 


 人間世界は万事につけて綺麗事では済まされぬ。


 教育もまた「汚れ仕事」の側面を、ちゃんと備えているようだ。

 

 

 

 

 


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