穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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外面菩薩、内心夜叉


 役者というのは結婚すると人気が落ちる。


 たった一人の生涯の伴侶を得ることは、何百、何千、何万倍の、異性のファンを失うのと引き換えである。


 この俗説は、果たして真なりや否や――。


「そういうことは、事実、けっこう御座います」


 神妙な面持ちで頷いたのは、六代目尾上菊五郎

 

 

Kikugorō Onoe VI as Kan Shōjō

Wikipediaより、六代目尾上菊五郎

 


 若干二十三歳の折、妻を迎えてまだ一年も経ていない、初々しい身であれど。効果というか周囲の変化は激甚で、嫌でもはっきり自覚せずにはいられない、猛烈性を帯びていた。


 地殻変動にも喩うべき、ファン層の入れ替わりがあったのだ。

 


「独身時代の贔屓は婦人に多く、妻を有してより後の贔屓は男に多ければ、妻をたぬ時の贔屓よりは反って有って後の贔屓こそ極めて有力なる後楯とも云ふべく、殊に妻帯してより尚ほ贔屓にせらるゝ婦人は、全く自己の芸、自己の人格を見抜いてよりの贔屓なれば、これ等こそ実に得難き人々にして、要するに私の贔屓は却って妻帯せぬ前よりも其後の方が多い様に思はれます」

 


 絶対数では減少したが、の面では、むしろ向上したのだと、つまりはそういうことだろう。


 大谷翔平の結婚を機に、菩薩の皮をかなぐり捨てて夜叉の性根を丸出しにした「女性ファン」の多きを眺め、不意に脳裏に去来したのが、上に掲げた菊五郎の談話であった。


 明治の女性も、令和の女性も、スターの色恋沙汰に関して示すところの反応は、本質的にさまで変動していない。どうもそういう判断を下さざるを得ぬらしい。

 

 

 


女性はいつでも敵を持ってゐる。敵がなければ敵を案出する。憎しみの対象がなければ生きてゐる気がしないからである。そしてそれと同時にいつでも味方を持ってゐる。その味方を自分だけの味方としたいと思ひたがってゐる。嫉妬心と淋しさ心細さとからである」――ニヒリスティックな文筆家、廣津和郎の見抜いた真理。


 末尾に附しておきたくなった。


 なんとはなしに、相応しく思えたからである。

 

 

 

 

 


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