遡ること九十四年、昭和五年のちょうど今日。
西紀に
中央気象台は異例の記録に揺れていた。当日の最高気温として、寒暖計は24.9℃なる夏日寸前を示したからだ。
(中央気象台)
季節外れの高温は関東平野のみならず九州から奥羽まで、日本列島全域にて観測されたことであり、
「今まで生きてきて、こんな二月は経験したことがない」
「とても炬燵に足なんぞ突っ込んじゃあいられんなあ」
と、腰の曲がった老人たちまで
地球はときどき、まるで思い出すように、こんな乱調をしでかすらしい。江戸期以来の小氷河期が未だ続いているはずの、昭和初期にあってさえこんな有り様なのである。気候はまったく複雑で、ときに怪奇ですらあった。
「全く狂ってゐるのだ、暖かいのではない、暑い」
中央気象台の顔、理学士藤原
大衆からは「お天気博士」の愛称で親しまれた人物である。
謎には
藤原咲平、昭和五年の異常気象の拠って来る原因を、闡明して曰くして、
「日本海の低気圧が青森秋田岩手を抜け南洋方面から来る南西の暖い風によるが今年は特別に海潮が暖い、海岸地方は二十度を超す暖さだがこれが内地へ侵入した関係も大いにある。
また昨年の暮から太陽の黒点が非常に多くなり殊に一月末には太く多く現はれた、二月下旬の観測は次第に少くなったが日本への影響は多少おくれる例だから今頃になって現象を来したのかも知れぬ、何しろ途方もない乱調子である、二十五日は多少涼しくなるが普通の二月の気候には返るまい、どうしても不思議な現象だ」
ことし、すなわち令和六年二月中旬頃に於いても平年を大きく上回る、度外れた暑さが各地で続き、結構な騒ぎになっていた。
振り返り、懐古の念に浸るには、将に絶好のタイミングだろう。
今を措いて他にない。そう思い、少々筆を滑らせた。
ただそれだけのことである。
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