穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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我は越後の天狗也


 姓は石黒、名は政元。


 どこぞの軍医総監殿と同じ名字であるものの、血のつながりは特にない。

 

 越後国の産である。


 物心ついた時には既に、彼は己の特性をはっきり自覚し終えていた。


 どんな高所に立とうとも、少しも恐いと思えない。


 他の童が脚を竦ます年代物の吊り橋を、鼻歌まじりに踏破する。家の屋根でも、鎮守の森の御神木でも、するする登って下界の眺めを楽しめる。なんならごろりと寝そべって、昼寝だって出来るのだ。

 

 

(『北越雪譜』より)

 


「坊ッ、危ない!」


 良識的な周囲まわりの大人が悲鳴まじりに叫んでも、蛙の面に小便で毫も性行を改めぬ。どころかそういう年長者の狼狽を、


(どこが危ないのだ、こんな簡単な遊びの、どこが)


 と、内心大いに滑稽がって嘲笑している風があり、まあその意味で、手のつけられない悪童ワルガキだったといっていい。このため徐々に周囲も彼を面憎く思うようになり、


「あんな奴めはいっぺん足を滑らして、地面に叩きつけられればいい」
「痛い目見ねえと、わからねえんだ、結局は」


 聞こえよがしに罵った。


 だが石黒は、彼らの期待を文字通り、遥か上回ってしまうのである。


「遊び」はやがて「芸」の高みに。長じて以後の石黒は、口に糊をするために、軽業師になったのだ。


 日本各地を巡業し、妖しの術や奇態によって非日常ないっときを提供するを事とする、そんな一座の花形に――。

 

 

Forestry by Kitayamasugi, Ukyo-ku Kyoto

Wikipediaより、伐採された杉)

 


 高足駄にて杉丸太を渡り切る。


 それが石黒の「持ちネタ」だった。


 もちろん丸太は宙に高く架けられている。もしも落ちれば、たとえ受け身が成功しても、骨の一本や二本程度は覚悟せねばならない高み。そこを行く。


 命綱などあるわけがない。そんなのを装着していては、客が沸いてくれないだろう。野暮の極みといっていい。何の保証も纏わずに、身体一つを晒していてこそ手に汗握らせられるのである。興奮を更に煽るため、飛んだり跳ねたり見栄を切ったり、丸太の上にて色んな挙動を演じたものだ。


「猿でもあんなに動けない」
「天狗の生まれ変わりじゃないか」


 人々は賞讃したという。


 いい気になった石黒は、ついに本物の天狗になった。


(よし、んでやる)


 当時まだ、竣工できて間もない凌雲閣から。――浅草公園に聳え立つ、日本一高いあの建物から、いっちょ滑空キメてやろうと意気込んだのだ。

 

 

(幻想郷のカラス天狗)

 


 仕事ではない。


 誰に頼まれたのでもない。


 まったくカンペキ個人的な情熱のみに基いて、意気揚々と石黒は、狂気の所業に打って出た。


 このためだけに誂えた特別性の傘を手に、本当に浅草十二階、凌雲閣の高層たかみより身を投げちまったわけである。


 彼の計算に従えば、傘の齎す浮力によって落下速度は適度に減殺、無事両足で大地を踏みしめ凱旋可能な筈だった。


 が、どうも式のいずこかに、重大なミスが伏在していたようである。


 たぶん数字の桁を幾つか取り違えでもしたのであろう。落下はあまりに速かった。頼みの綱の傘たるや、身を躍らせて早々に、空中にてぶっ壊れ、ただのガラクタと化していた。


(あっ――)


 故郷越後の大人衆おとなしゅの、呪いがついに成就した。


 ほんの束の間、気持ちの悪い浮遊感に包まれて、鳥肌を立てる暇もなく、途轍もない衝撃が――。


 石黒の記憶は、そこでいったん断絶している。

 

 

Jintan 12kai

Wikipediaより、凌雲閣)

 


 そう、いったん・・・・だ。驚くべきことに、彼は生き永らえている。よほど受け身に妙を得たのか、本能的に力を抜いて、ダメージを最小限に押えたか、あるいは樹なり庇なり、途中で何かに引っかかり、ブレーキ役を果たしたか。とまれかくまれ、結果はこう・・だ。白眼を剥いてぶっ倒れていたところ、通りがかる者があり、彼を介抱、意識を復活せている。


 網膜に映る情景と、総身を苛む激痛で、石黒はすぐに己が現状を理解した。


 ――しくじったか。


 そんな言葉が、まず唇をついて出た。


 ばつ・・の悪げな、だがしかし、深刻さはまるでなく。――せいぜい白昼、人目の多い往来で、うっかり小石に躓いて、いかんいかんとはにかみながら身を起こす。そんな程度の、甘い含羞、さりげなさにて発せられた聲だった。

 

 

身延駅前にて撮影)

 


 それは畢竟、一連の落下体験が石黒政元の精神に、糸屑ほどの罅ひとつ入れられなかったことを意味して。


 事実、彼はこの後も、相も変わらずいけしゃあしゃあと軽業師で喰ってゆくのだ。


 もう遺伝子の段階で、高所に対する恐怖観念が欠落けているとしか思えない。


 時期が時期なら、戦闘機のパイロットにでもなっていたろう。


 なんとなれば、ある・・からだ。誰もが認める撃墜王ソ連人民最大の敵」ハンス・ウルリッヒ・ルーデルにも、これと類似の体験が――。

 


「…母は小さなパラシュートの模型をつくってくれた。石をつけてほうり上げると、風に揺られてフワリフワリと落ちてくる。その次の日曜日は、一日中あきもせずにパラシュート遊びをやっていたが、ふと、石の代りに自分が飛んで見たくなった。
 蝙蝠傘でやれないかしら? そう思うと矢も楯もたまらず実験してみたくなり、二階のバルコニーに出て蝙蝠傘を開いた。下を見ると、さすがに怖くなったが、思いきって飛び降りた。落ちたのは柔らかい花壇の土の上、何だか身体じゅうがねじられたようになり、おまけに片方の足を挫いてしまった」(『急降下爆撃』)

 

 

 


 あるいはいっそ現代にでも生まれていれば、どうだろう、パルクールの名手として喝采を博していたやも知れぬ。


 高層ビルのへりのギリギリ、限界間際を全力疾走。攻めて攻めて攻めまくる、そんな動画を立て続けに投稿し、再生数を稼いでいたのではないか。


 どんな世でも石黒は才のままに振舞って、それでけっこう困らずに、名を立てそうなやつだった。

 

 

 

 

 

 

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