穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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In The Myth,God Is Force.


 セオドア・ルーズヴェルトは快男児である。


 グレート・ホワイト・フリートに、ひいては棍棒外交に象徴されるが如きまま、その政治上の遣り口は徹頭徹尾「力の信徒」そのものだ。本人もそれを自覚して、理解わかった上で金輪際隠さない。むしろ全身で誇示しにかかる。世の正しさに沿うのではなく、己の歩んだ道こそが正しさになってゆくのだと確信している者特有の傲慢さをそこに見る。

 

 

(グレート・ホワイト・フリート)

 


 価値創造者気取りとでも言うべきか。


 圧迫された側からすれば面憎い限りであるのだが、それでもあそこまで好き勝手絶頂にやられると、一周まわって胸を涼風が突き抜ける爽やかさがあるような、変に痛快な感覚が沛然として湧いてくるから不可思議だ。


 アフリカの部族間抗争を前にして水野廣徳が抱いたところの、

 


「野蛮人の戦争は徹底的に残酷なり。但し彼等は残酷を以て正義と信ずるもの、彼の文明人の如く、口に人道を唱へて、手に残虐を行ふものにまさ

 


 この想念とも、あるいは何処かで通じ合うのやも知れぬ。


 文明国の政治家には珍しく、ルーズヴェルトは比較的、己の中の野蛮さを隠しだてせぬ男であった。

 

 

 


 ――そういうセオドア・ルーズヴェルトだからこそ。


 第一次世界大戦の幕が切って落とされて、無反応など有り得ない。人類史上かつてない力と力の大衝突の凄愴に、この男の精神もまた瞬間沸騰したようだ。そのように表現する他ないほど極めて烈しく勢いづいて、怪気焔を上げている。


 一、二例を挙げるなら、

 


「先年米国がパナマを防備せんとしたとき之を防備せずして国際条約により其中立を保証すべしと論じたる人々は宜しくベルギー・ルクセンブルクの教訓を学ぶべし。欧州の出来事を見たる者は狂人に非ざる限り国際条約が有事の時に何等の効なきを悟るべし


今次の戦争は各種の条約の無価値なることを極端に示したるものなり、之をベルギーに見よルーヴァンは焼かれ女子供は虐殺され、アントワープは飛行船により爆弾投下に遭ひたり、然も各中立国は之に対して同情は表したれども敢て抗議を提出したる者はあらず、是れ彼等は実力の後援なき抗議は抗議せずに如かざるを知れるを以てなり

 


 このあたりが、まず、妥当であろう。


 それ見たことかと言わんばかりの熱量だ。

 

 

Theodore Roosevelt

Wikipediaより、セオドア・ルーズヴェルト

 


 しかしまあ、表現こそ過激のきらいはあるものの、論旨自体は決して間違ってはいない。


 むしろ真理を衝いているといっていい。


 陸羯南も以前に説いていたものだ、

 


「盗あり垣を穿ちて入る。盗頗る悪しゝと雖も、垣を粗にする者亦たあやまちなしとせず。乃ち防禦の疎漏は平和の破壊を招き至すに非ずや、故に一国が隣国と相ひ保たんと欲せば宜しく四境の防禦を密にすべし。隣国に向ひて其の境彊を放漫にするは、是れ殆ど殊更らに侮を招きて平和を傷るに均し」

 


 と。


 なんならもっと思いきって遡り、ホッブズにおでまし願ってもよい。「自然の情に駆られると、人間はむしろ偏愛・高慢・怨恨などに囚われる。また、武力による裏づけのない契約は、単なる言葉にすぎない。そこには、人間の安全を守る力はいささかもない。不朽の名著『リヴァイアサン』の一節だ。


 戦争回避の第一は、軍事力の充実に俟つのがとどのつまりは正着である。この分かりきったことわりが、何故か往々無視される。


 これまた不思議なことだった。

 

 

 


 セオドア・ルーズヴェルトは1919年、アメリカの勝利を見届けてから世を去った。


 大英帝国の後を継ぎ、合衆国が新たなヘゲモニーの担い手として――パックス・アメリカーナ星条旗の世界の開闢に、この上なく重要な布石が打たれたのを見届けてから。


 幸福としか言いようがない。

 

 

 

 

 


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