穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

続・太平洋風雲録 ―白船来る―

 

 果然、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


 日本のみならず、アメリカ社会までもが、だ。


 ――宣戦布告に等しい所業ではあるまいか。


 主力艦隊を太平洋側に廻航するということは、である。


 ――ハーグ国際平和会議を主導した立場でありながら、敢えてそのような挑発的行為に踏み切れば、世界はどんな眼を向けるであろう。


 ダブルスタンダードを危惧する声もちらほら上がった。
 が、


「予は運河区域をとった。そして議会をして討論せしめた。討論がなお進んでいる間に、運河も進んだ」


 パナマ運河にまつわるこの格言からも窺える通り、元々セオドア・ルーズベルトとは、めだって剛腕な政治ぶりのある男。


 一旦やると決めたなら万難を排して突進する、ある種猛牛的気質を有する。


 このときも、その特性が遺憾なく発動されたものらしい。エリフ・ルートに書簡を送付してからおよそ五ヶ月後、1907年12月16日。艦隊はついにバージニア州ハンプトン・ローズの港を発し、予定の航路を進みはじめた。

 

 

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Wikipediaより、ハンプトン・ローズ出航の様子)

 


 戦艦十六隻、装甲巡洋艦二隻、駆逐艦六隻、補助艦八隻、のべ三十二隻から成る堂々たる陣容である。


 ルーズベルトはこの艦隊の目的を、帝政ドイツ海軍大臣ルフレート・フォン・ティルピッツに向け、


「予は日本をして憐れむべきロジェストヴェンスキー(筆者註、バルチック艦隊司令長官)とは全然別種なる白人種の艦隊が、他に存在することを知らしむるを得策と認めた」


 と説明したが、なるほどそれだけの迫力は十分にあったことだろう。


 この時期、パナマ運河は未だ完成していない。


 艦隊は南米大陸南端のマゼラン海峡を経由して、漸く太平洋に進み出た。


 欧州各国でも


「もはや日米の衝突は不可避になった」


 との論調が盛り上がりをみせ、フランスでは日本の国債が暴落し、何故かスペインが軍資金の提供を持ちかけてくる滑稽な事態に。


 大方、米西戦争の意趣返しがしたかったのだろう。が、


(大概にしてくれ)


 日本としてはそのような復讐心に付き合ってやる義理はない。


 対米戦争など狂気の沙汰事、どう転ぼうが結局は日本にとって自殺以外のなにごとにも成り得ぬと、首脳陣は余すところなく知っていた。


 彼らはむしろこれを機に、日米間の緊張をどうにかして解きほぐしたく、だから外務大臣林董の、


 ――ここは一番、我が方から艦隊の寄港を要請し、諸手を挙げて歓迎するに如かず。


 との提案に、膝を打って賛意を示した。

 

 

Hayashi Tadasu 1910

 (Wikipediaより、林董)

 


 しかしながら当時の社会的空気の中でこの方針を貫徹するのは、よほど至難であったろう。


 なにせ、東京五大新聞の一角を占める報知新聞をしてすらが、

 


…由来、米国人は文明を以て誇るものなれど、実際彼等の為す所を顧みれば、毫も文明国民として称するに足るものなし。彼等の文明は唯だ物質文明にして、其精神は全々野蛮なり。支那人は屡々排外運動を試み、近くは三十三年に団匪の暴発となりたるが、今回米国の排日運動は団匪の暴発と毫も択ぶ所なく、団匪の暴発は支那なりしが為、列国の激怒に触れ、文明の敵として鎮圧せられたりしが、米国の団匪は米国なるが為、列国間の問題とならず、日本人間にさえも頗る寛大にこれを観察し、両国の交情を破るなからんことを望むと云ふが如き、微温なまぬるき議論を吐くものあり。在米の我同胞が斯くの如き侮辱を受くる時に当り、強て両国の交情を云々するは余輩の解する能はざる所にして、交情を破るものは米国にして日本に非ず。国際関係は対等なるべく、我国の名誉を犠牲に供してまでも、強いて彼の歓心を求むるの必要いずくに在るや。

 


 このような過激な言辞を振りかざして憚らぬ始末。

 

 

The Carpenter Hanshichi of Fukagawa Seizes His Daughter's Attacker LACMA M.84.31.150

Wikipediaより、報知新聞) 

 


 迂闊に口を滑らせようものならば、売国奴の烙印を押され暗殺目的の壮士が殺到しかねない状況。当局者は、さぞかし神経を磨り減らしたことだろう。


 が、苦しみに堪え、彼らはその難行をやり遂げた。1908年10月18日、米国艦隊――グレート・ホワイト・フリートが横浜港に投錨すると、日本人は「朝野を挙げてこれを歓迎」する姿勢をみせ、一週間の滞在中、決して彼らを飽きさせないよう努力した。


 渋沢栄一東郷平八郎まで動員しての接待だったというのだから、その必死さ加減がわかるであろう。


 あまりに意を尽くし心を砕いたそのふるまいに、口さがのない米国紙などは、


「ブルドックの鼻息に畏縮せるフォックス・テリアの醜態に似たり」


 と冷笑を浴びせたほどだった。


 グレート・ホワイト・フリートを派遣して正解だった、甲斐があったと、きっと誰しもが思っただろう。


 セオドア・ルーズベルトはこの艦隊が任務を果たし、合衆国に帰還するのを見届けてから、およそ半月後の1909年3月4日、大統領職を退いている。

 

 

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 引退後はアフリカに向かい、みずから銃をぶっ放しての猛獣狩りに明け暮れて、大いに愉しみ鬱懐を散じきったあと、帰路すがらちょっとベルリンに寄り、前述のアルフレート・ティルピッツと顔を合わせて談話に耽った。


 その際、グレート・ホワイト・フリートも話題の俎上に載せられている。


 ティルピッツが


「あの時自分は日本が、米国主力艦隊の遠航中を奇貨として、アメリカに攻撃を加えるだろうと予測していた。貴下はそうした憂慮を抱かざりしや」


 と訊ねたところ、ルーズベルトは、


「十に一つはそんな事があるかも知れないと考えていた。そして勿論、日本にして開戦するも、将又平和的態度を持続するも、どちらの態度に出ようとも十分対処可能なように準備は整えてあったとも」


 と、容易ならぬ返事をしている。


 1941年12月8日を思うとき、日本人にとってはどこか宿命的な響きすら感ぜられる言葉であろう。


 大国というのは、全く以って羨ましい。

 

 

日本人よ強かになれ 世界は邪悪な連中や国ばかり

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