活動弁士は日本のオリジナルである。
トーキーが世に出るより以前、映画といえば声無しに
日本で生まれ、日本に於いてしかウケぬ、特異な発明であるのだと。
哀愁を滲ませ書いたのは、海軍軍人、水野廣徳なる男。
大正十一年、世に著した、『波のうねり』なる書物の中の一節だ。
「日本の活動写真には、弁士なるものあり。写真の間に間に、形容たっぷりの
声優文化への脈絡を感じる。
現代サブカル界隈に最早まったく欠かせない、あの一角への脈動を。
実況だの何だのを隆昌せしめた淵源も、このへんにあるんじゃなかろうか。『波のうねり』を捲りつつ、そんなことを考えた。
本書は大正五年度に水野廣徳がやった洋行、その途次せっせとつけていた旅日記を底本に出版された紀行文。第一次世界大戦酣なる時節に於いて敢行された旅だけに、ところどころ殺気を帯びて、親不知の険を行くにも似たような緊張感が読み手の側にも自然に
蓋し名著と評したい。
見返し部分を覗いてみれば、最初の所持者の書き込みが。
大正十一年三月
沿海州ニコリスクにて
南澤生
と読めばいいのか。
……なにゆえ日本の新刊がロシア領にて購える?
シベリア出兵関連か? 三月ならまだ、彼の地に日本軍は居た。撤兵までまだ半年以上の間があった。この南澤という人は、無事に帰って来れたのか? いやきっと、帰れたからこそ此処にこうして、私の手元に本書が置かれているのだろうが。民間人か、兵籍か? 水野廣徳は海軍軍人。酒保に陳列されていたとて、さして違和感はないのでは?
(Wikipediaより、水野廣徳)
時として古い書物には、それ自体に物語がある。
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