穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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潮のまにまに


 活動弁士は日本のオリジナルである。

 

 

Hasegawa T 2.jpg
Wikipediaより、長谷川利行『二人の活弁の男』)

 


 トーキーが世に出るより以前、映画といえば声無しにまっていた黎明期。銀幕に映る情景がいったい何を意味するか、舞台袖に陣取って、一生懸命解説するを事とする、あの職業の人々は、内地に居てこそ極ありきたりであるものの、しかしひとたび外遊の途に就くや否、たちまち姿を隠してしまう、まったく独自の存在と。


 日本で生まれ、日本に於いてしかウケぬ、特異な発明であるのだと。


 哀愁を滲ませ書いたのは、海軍軍人、水野廣徳なる男。

 

 大正十一年、世に著した、『波のうねり』なる書物の中の一節だ。

 


「日本の活動写真には、弁士なるものあり。写真の間に間に、形容たっぷりの仮声こわいろ交ぢりで、事細やかに説明し、少なからず僕らの鈍脳を刺戟し、鈍情を挑発し呉る。活動弁士は人力車と共に、日本独特の二大発明にして、西洋には絶えて無き処なりと聞きしが、今夜初めて其の然るを知れり。西洋の活動写真は、幕の切れ目切れ目に簡単なる説明書きを写表するのみにして、日本の如く『これ浪さん……』などは、決してやらない。…(中略)…日本人の娯楽はアッサリと目で見たばかりでは物足らず、耳で説明を聞いて深刻に頭に響かねば承知が出来ぬなり。故に日本人は喜劇よりも悲劇を好む傾あり」

 


 声優文化への脈絡を感じる。


 現代サブカル界隈に最早まったく欠かせない、あの一角への脈動を。


 実況だの何だのを隆昌せしめた淵源も、このへんにあるんじゃなかろうか。『波のうねり』を捲りつつ、そんなことを考えた。

 

 

 


 本書は大正五年度に水野廣徳がやった洋行、その途次せっせとつけていた旅日記を底本に出版された紀行文。第一次世界大戦酣なる時節に於いて敢行された旅だけに、ところどころ殺気を帯びて、親不知の険を行くにも似たような緊張感が読み手の側にも自然に伝染うつる。


 蓋し名著と評したい。


 見返し部分を覗いてみれば、最初の所持者の書き込みが。

 

 

 


大正十一年三月
 沿海州ニコリスクにて
       南澤生

 


 と読めばいいのか。


 ……なにゆえ日本の新刊がロシア領にて購える?


 シベリア出兵関連か? 三月ならまだ、彼の地に日本軍は居た。撤兵までまだ半年以上の間があった。この南澤という人は、無事に帰って来れたのか? いやきっと、帰れたからこそ此処にこうして、私の手元に本書が置かれているのだろうが。民間人か、兵籍か? 水野廣徳は海軍軍人。酒保に陳列されていたとて、さして違和感はないのでは?

 

 

Mizuno Hironori in military uniform.jpg

Wikipediaより、水野廣徳)

 


 時として古い書物には、それ自体に物語がある。

 

 

此一戦

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