平山蘆江が日本婦人の襟足讃美を展開すると、高田義一郎がこれに和し、水着に於けるチラリズムとセクシー主義の相克を力いっぱい物語る。
いきなりなんだ、と思われるかも知れないが。昭和十六年という日米大戦の瀬戸際で、本邦有数の文化人らが実際に演じた光景である。
手っ取り早く、原文を見ていただこう。
「日本の女として一番男の眼と、又は心を引くものは、顔でもなく眼鼻でもなく、髪かたちでもなく、襟足である。叱られてさしうつむく、ものを云ひかけられてさしうつむく、褒められても笑はれても、軽く横斜めの姿勢でさしうつむいた襟足こそ、日本女にとって一番大事な働きをする武器である。
――と思って日本婦人の風俗を見なほすと、日本髪の髱の出し方、着物の衣紋のぬき方、襟足のそろへ方等々、一つとして襟足の美くしさといふよりは、しほらしさを強める為でないといふ事は一つもない」
これが平山の観察で、
「その通り、その通り」
と、大いに顎を動かしてから、高田が明かしたフェチズムが、
「『これを見ろ!』とばかりに丸裸になって、全身をつきつけられてはどんな美人に対しても、反って不快の感を起させるものであります。ものは控え目にして、限りある部分的の所で他を推察させるあたりに引きつける力が最も大きいのであります」
「従来、手と脚とを出して、胴体を全体蔽ってゐた海水着の型を改めて、近年は出来る丈広く、背面を露出しやうとする流行が北米合衆国あたりから世界的になってゐるのは、ヤンキー式の無遠慮な意志表示に相違ありますまい」
すなわちこんな具合いであった。
(ライン川の乙女たち)
――スク水は認めるが競泳水着は情緒に欠ける、ビキニなんぞ以っての外と、高田先生は仰るか。
と、無性にまぜっ返したくなる。
さすが日本人だった。
王朝時代の昔から、
(Wikipediaより、合わせ貝)
よほど特殊な
おまけにそれで千年以上の歴史を紡いだ実績がある。
なんと奇妙で、且つ愉快なる民族か。日本男子とは、つまりまったくこれでいいのだ。
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