穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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世界の愛したゲイシャガール ―新しきもの、旧きもの―


 日本人が自国の上に描く理想と、外国人が期待するあらまほしき日本像とが、常に一致しているとは限らない。


 否、そうでないことの方が圧倒的に多かろう。新渡戸稲造博士が論文中で


 ――芸者は遠からず消えゆく種族。


 と発表すると、そんな、つれない、なんたることかと顔を覆って慨嘆し、どうにか保存策を図れぬものかと苦慮する声が海の向こうでむらがり湧いた。


 やがて博士の予言の通り、東京や横浜といった都市部から芸者の姿が消えはじめると、外国人旅行者たちは彼らが云うところの「生き人形」に接待してもらいたさに、態々悪路を踏んでまで古俗の残る田舎の旅館へ足を延ばして、欲求を満足させたという。


 とかく芸者の評判は、海外に於いて大だった。――日本人の想像を上回って遥かに余りあるほどに。

 

 

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 R・バレットという米国人は『外人の見た日本の横顔』の筆者中もっとも熱心な芸者愛好家に他ならず、彼女たちの魅力を表現するため、多大なインクを費やしている。彼の論はいの一番に、


「一般旅行者のあひだには、日本人の生活における、芸者の身分に関して悲しむべき誤解が介在してゐるやうだ」


 自国民の不勉強に対する糾弾から成る。

 


 彼女たちを想ふと、直ちに娼婦の蠢いてゐる暗の世界を連想するやうであるが、謬れるの甚だしいものである。彼女たちは堂々と、一般社会のうちに生活してゐるのだ。彼女たちの仕事といふのは、ウエイトレス、芸人、ナイト・クラブの女将をつきまぜたやうなものである。(301頁)

 


 芸者の仕事とは「宴席に華を添える」ことであり、賑々しいその雰囲気を終始保たせる点にあり、「芸は売っても体は売らぬ」が少なくとも建前として聳え立っている以上、娼妓とは一線を画して考えるべき職種であった。


 にも拘らず、「芸者遊び」と聞くと即座に淫猥な情景を連想するのは、昨今の日本人士の間にすら見受けられる、悲しむべき誤解である。


 吉原の花魁さながらに、一流の芸者というものは幼女の頃から時間をかけて丹念に丹念に錬成される。あまりに厳しいその躾を目の当たりにしたバレットは、


「いかなるトーダンスの踊り子でも、これほど過酷な修練は積まないだろう」


 と目を剥いて驚愕を露にしたほどだ。


 補足しておくと、トーダンスとはトウシューズを履いて爪先立ちで行われるバレエの一種。

 

 

Pointe shoes

 (Wikipediaより、トウシューズ

 


 しかしながらそんな厳しい訓練も、彼女たちの人間性を滅却しきることはできないと、実際にその接待を受けたバレットは語る。

 


 彼女たちは膝まづき、いと慇懃に頭を畳につける。しかしながら彼女たちはつよい好奇心に駆られて、こっそり客の方を見るのである。彼女たちはとてもいたづらっ子である。否、時には不作法だと思はれるほどである。少なくともニューヨークに住んでゐる尋常な婦人が主人役を勤めてゐるならば、きっと憤慨してしまふだらうと思ふ。自分もなんの因果か左利きなので、しょっちゅう彼女たちから笑はれてゐた。自分が箸を口へもってゆく時には、きまったやうに大きな袂で顔を隠くして、くすくすと笑ふのだ。また自分のもってゐた鍵が、よっぽどお気に召したとみえて盛んにいぢくってゐた。(302頁)

 


 これほど礼を無視した仕打ちを一身に浴びておきながら、しかしまったく腹が立たない自分自身の感情が、バレットは不思議でたまらなかった。


 それどころか子猫の甘噛みを受けた瞬間さながらに、むずかゆいような染み入るような快感がこみ上げてくるのはいったいどういうわけであろう。「東洋の神秘の国」という謳い文句にシンから納得する気になったのは、この瞬間ではなかったか。


 つまびかれる三味線の音はアルコールに浸された脳を心地よく揺らし、座敷を七色の彩雲に変え、いよいよ羽化登仙の法悦へと男を誘う。

 


 一旦芸者たちの手にかかってしまふと、大の男が完全にはめを外して、まるで子供みたいになってしまふから面白い。とにかく彼女たちを観察すると、何等の屈託もないやうな純真さがあるので、一挙一動愛らしく感ぜられる。とにかく芸者といふものが、がっちりした日本の社会にとっては、欠くべからざる部分をなしてゐるのは驚嘆に値すると思ふ。(304頁)

 


 これほど絶賛されたなら、芸者たちとてさぞや本望だったろう。

 

 

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 その一方でミセス・E・C・メイという、やはり米国籍の講演家は、芸者の舞に歓声を上げ拍手している旦那をよそに東京の「モガ」連と親交を結び、以下の話を聴取している。

 


「日本の女性が世界の人間を喜ばせる為に中世紀の着物を着て居なくちゃならないと云ふ事はないでせう。アメリカの婦人だって欧羅巴の方だってそんな事はしないでせう。だから日本の女だけがそんな事をする必要はないと思ひますわ。そりゃ着物は結構です。芸術的で伝統の美を持ってゐますもの。でも帯はちゃんと締めると胸をおして暑い時には不愉快ですしとても値段が高いんです。帯一本でパリの流行服が買へますわ。お嫁入り仕度には一身代傾けます。着物を着るには女中の手を借りなくちゃなりません。足袋(白い木綿の靴下)は真白でないとみっともないので、一日に六度も変へなくちゃなりませんもの、とてもやり切れませんわ」(542頁)

 


「モガ」とは「モダン・ガール」の略であり、平塚らいてう伊藤野枝に代表される「新しい女」の同族であり、思い切って断髪をしてこざっぱりした洋服を身につけ、深窓から飛び出してテニスやバスケ等のスポーツに興じた人々である。


 高田義一郎の『らく我記』によれば、ちょっと信じ難いほどのことだが、男装して吉原繰り込み同性の娼妓を招いてたわむれた者までいたそうな。

 

 

Kagayama mogas

 (Wikipediaより、モダン・ガール)

 


 何につけてもこの時期の日本は、旧きものと新しきものとが、奇妙に錯綜している国だった。


 境界線すらときに朧に、モザイク状に入り組みきったその有り様こそ外国人には謎であり、魅力的な深淵でもあり、旅行者を呼び込む引力を発生させもしていたのだろう。

 

 

自警録 (講談社学術文庫)

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