穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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石川県の犬の群れ


 そのころ官途に在る者の威勢ときたら馬鹿々々しいまでであり、鼻息だけでどんな巨漢も吹き飛びそうで、維新政府の殿堂は、一朝にして天狗の巣穴と化した観すら確かにあったといっていい。


 わけても明治十六年、県令として石川県に繰り込んできた男など、そのまま『平家物語』に登場させても一向違和感のないほどに、成り上がり者の傲慢を一身に煮固めたようなやつだった。

 

 

Kanazawa-M-5932

Wikipediaより、金沢城石川門)

 


 逸話がある。


 県令閣下、ある晩なじみの料亭に主立つ部下を差し招き、酒宴を張って紅燈緑酒のたのしみを散々味わい尽した挙句、


「みろ」


 芸妓おんな相手に言い出したことが凄まじい。


「こいつらは皆、おれの犬だ」
(あっ)


 女たちこそ蒼褪めた。


 維新前ならもうこれだけで、刀を素っ破抜くに足る。

 

 

(刀の手入れをする直木三十五

 


 たとえ膾に刻まれようと誰も不審を覚えぬまでの放言であり、如何に酒の席だとて、笑って流せる沙汰でない。


 そういう空気の緊張を洞察する能力を、この県令はどうも生まれつき欠いていた。


 もっと言った。盃を目の高さに掲げ、


「おい犬ども、返事をせんか、ワンと言え」


 あろうことか、そんな命令まで出した。


 県令たるこの男、彼の姓を岩村という。


 名前は高俊。


 長州人からキョロマと呼ばれ、虫螻むしけら並みに軽蔑された男であった。

 

 

Takatoshi Iwamura

Wikipediaより、岩村高俊)

 


 その軽率と倨傲によって北越戦争を惹き起こしておきながら、しかし斯かる経験は、岩村の内部で一切教訓化されず、従ってまた厘毫たりとも懲りる部分はなかったかと思われる。キョロマはしょせん、キョロマのままであったのだ。


 岩村高俊はともかくとして、石川県庁職員も、どうかしていた。岩村を袋叩きにするどころか、顔に酒を吹きかけも、座を蹴って立ち上がりさえもせず、唯々諾々とワンワン鳴いてみせたのである。


「いいぞ、いいぞ」


 岩村は、腹をゆすって大笑いした。


 西郷が何故絶望し、表舞台から消えたいと、北海道に隠棲し、そのままそこで朽ちたいと、世捨て人の心境に沈淪していったのか、一秒で解せる光景だった。


 ――なお、この逸話はなしの出処は例の三宅雄二郎、雪嶺と号す、旧加賀藩の儒医の子だ。

 

 

金沢城下士族町)

 


 つまりは石川県人である。その雪嶺に吹き込んだのは、想像するより他ないが、さしずめ土地の古老だろうか。よく醸された鬼気を感じる。あるいは列座のひとりだったやもしれぬ。


 石川千代松の如き碩学でさえ、ふと感情が激すると、


薩長の野郎どもがなんだ!」


 と怒号せずにはいられなかった、それが明治という時代。以って「官」の鼻高々と、そこに入れてもらえなかった在野の不遇、嫉視怨嗟の深刻性を知るに足る。

 

 

 

 

 


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