そのころ官途に在る者の威勢ときたら馬鹿々々しいまでであり、鼻息だけでどんな巨漢も吹き飛びそうで、維新政府の殿堂は、一朝にして天狗の巣穴と化した観すら確かにあったといっていい。
わけても明治十六年、県令として石川県に繰り込んできた男など、そのまま『平家物語』に登場させても一向違和感のないほどに、成り上がり者の傲慢を一身に煮固めたようなやつだった。
逸話がある。
県令閣下、ある晩なじみの料亭に主立つ部下を差し招き、酒宴を張って紅燈緑酒のたのしみを散々味わい尽した挙句、
「みろ」
「こいつらは皆、おれの犬だ」
(あっ)
女たちこそ蒼褪めた。
維新前ならもうこれだけで、刀を素っ破抜くに足る。
(刀の手入れをする直木三十五)
たとえ膾に刻まれようと誰も不審を覚えぬまでの放言であり、如何に酒の席だとて、笑って流せる沙汰でない。
そういう空気の緊張を洞察する能力を、この県令はどうも生まれつき欠いていた。
もっと言った。盃を目の高さに掲げ、
「おい犬ども、返事をせんか、ワンと言え」
あろうことか、そんな命令まで出した。
県令たるこの男、彼の姓を岩村という。
名前は高俊。
長州人からキョロマと呼ばれ、
その軽率と倨傲によって北越戦争を惹き起こしておきながら、しかし斯かる経験は、岩村の内部で一切教訓化されず、従ってまた厘毫たりとも懲りる部分はなかったかと思われる。キョロマはしょせん、キョロマのままであったのだ。
岩村高俊はともかくとして、石川県庁職員も、どうかしていた。岩村を袋叩きにするどころか、顔に酒を吹きかけも、座を蹴って立ち上がりさえもせず、唯々諾々とワンワン鳴いてみせたのである。
「いいぞ、いいぞ」
岩村は、腹をゆすって大笑いした。
西郷が何故絶望し、表舞台から消えたいと、北海道に隠棲し、そのままそこで朽ちたいと、世捨て人の心境に沈淪していったのか、一秒で解せる光景だった。
――なお、この
つまりは石川県人である。その雪嶺に吹き込んだのは、想像するより他ないが、さしずめ土地の古老だろうか。よく醸された鬼気を感じる。あるいは列座のひとりだったやもしれぬ。
石川千代松の如き碩学でさえ、ふと感情が激すると、
「薩長の野郎どもがなんだ!」
と怒号せずにはいられなかった、それが明治という時代。以って「官」の鼻高々と、そこに入れてもらえなかった在野の不遇、嫉視怨嗟の深刻性を知るに足る。
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