穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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今昔星条旗 ―増田義一の北米紀行―


 北米大陸を視察して、増田義一がしみじみ感じた必要性は、一刻も早く日本のあらゆる店舗から、「いらっしゃいませ」と「何をお求めですか」とを分離せねばならないということだった。


 アメリカでも店に入ると「いらっしゃいませ」が飛んでくる。


 しかし九分九厘それきりだ。


 店員側からより以上、重ねて喋ることはない。


「その沈黙がありがたかった」


 と、この政治家にして出版人、実業之日本社』創業の雄は物語る。

 

 

Giichi Masuda

Wikipediaより、増田義一

 


 おかげで実にのびのびとした、自由な気持ちで商品を選ぶことができたのだ、と。


 かてて加えてこちらから、


 ――すみません。


 と、接触を求めにいった場合の反応たるやどうだろう。


「はい、いかがなさいましたでしょうか」


 それまで二枚貝みたく口をつぐんでいた店員が、にわかに愛想の塊と化し、こっちの助けになれるのが嬉しくてたまらぬという笑顔を浮かべ、懇切丁寧に応対してくれるのである。


(なんという快適さだ)


 商業道徳の理想形を間近に見るの思いであった。

 


 我国の商店では品物を問はれて、店員が「有りません」とか「お生憎さま」とか言って平然としてゐるのが多い。米国の店員は「品を切らせて申訳ありませんが、何かそれに代るものでお間に合ひませんでせうか」と相談を持ちかけ、然らざれば「何処の何店にあるかも知れません」と親切に教へてやるのである。(中略)
 彼等は全く買手の心持ちを知ってゐる。客の扱ひ方は、お客の心持ちになって、優遇するのが最も宜い。

 


 こういうことを書き綴った増田義一に、今のアメリカを見せてやりたい。

 

 

 


 BLMやら修正案47やら、様々な要因の積み重なった挙句の果てに、掠奪が日常茶飯事と化し、店舗閉鎖も相次いでいる現在のこの惨況を。


 なんといっても、強盗を喰い止めようとして、警察を呼んだ店員が、逆に店から解雇されるご時世だ。


 正気の沙汰ではないだろう。


 明かに何かが転倒している。


 合衆国もついに老いたか、あとどれぐらい覇権を維持できるやら――と、考え込まずにいられない。


「買い手側の気持となって」。ああ、そういえば、清水雅がよく似たことを言っていた。

 


「会社の入社試験を今年やったら、二百名の応募者があった。この中から十人採用する。つまり百九十人は不採用である。ところが、不採用となると、途端にこの百九十人が我々のお得意様になる。この人々が不愉快であっては、店で買物をして貰えない。
 試験に落しておいて、不愉快でない様にするにはどうしたらよいか。これは難しい問題に違いない。併し顧客、しかも無数の顧客を対象としている者は、このような心掛けで、すべてに細心の注意を払わねばならぬ。そういう注意を必要とする仕事である」

 


 昭和三十年、阪急百貨店社長としての発言である。


 青木益次が心酔したのも頷ける。増田義一を感動せしめた合衆国の人情は、紛れもなく日本社会に取り入れられていたわけだ。

 

 

(カリフォルニア山岳地帯)

 


 美風だけを取り入れればよい。大陸文化に学びつつ、しかし科挙や宦官制度はあくまで排した祖先のように。


 消化力と精選の目の確かさは、それこそ日本民族の伝統である筈だから――…。

 

 

 

 

 


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