我が子を崖下に突き落とすのは、ライオンのみに限った習性、――専売特許でないらしい。
「ロッペン鳥もそれをする」
と、三島康七が述べている。
昭和のはじめに海豹島の生態調査をした人だ。
そう、海豹島――。
座標系で表せば、北緯48度30分・東経184度39分。大日本帝国の北限近く、南樺太に属す島。北知床半島の岬から、更に南に12キロほど行った場所、オホーツクの蒼海中にぽつねんと浮かぶ、岩礁めいた小島であった。
しかしながらこの小島こそ、プリビロフ諸島やコマンドルスキー群島にも比肩する、オットセイの一大繁殖地なのである。
そういう点で、物理的なサイズに反し、経済および学問上の重要度は極めて高い。
三島康七が上陸したのはまさにその、繁殖のため、オットセイが続々と集まりつつある海豹島であったのだ。
(Wikipediaより、海豹島)
で、一通り調査を終えたのち、報告書とは別にして、平易で砕けた文体の、随筆風な滞在記を一篇書いて遺してくれた。
その記録に云う、
「ロッペン鳥の卵は三四週間で孵化するが、雛は一週間余雄の運び来る餌で養はれ、やがて母鳥に訓練を受ける。母鳥は獅子の勇敢を以て雛を岩角より砂浜に蹴落とし、自らは渚に飛び行き『此処まであんよ』をやる。数日にして雛は水泳を習得し、次いで飛翔を習ふ。蹴落としの時期には監視人は喧騒で寝付かれぬ程である」
と。
つまりは愛の鞭だった。
それ自体は構わない、健全な母性の発露として寛恕されるべきではあるが、ただ問題は、揮いどきを間違うと、思わぬ惨事を招来することである。
「蹴落としに際して警戒すべき敵は鴎である。鴎は海獣の屍を啄んだり、胎盤を食ふばかりでなく、崖下に待ち伏せて幼鳥を殺す悪戯もしかねない。此の危難を避ける為に夜陰に乗じて蹴落としが始められる。何となれば鴎は鳥目だから。ロッペン鳥の眼は例外と見える」
監視人が睡眠不足に陥る理由も、これで一挙に解けたろう。
昼ではなく、夜の行事であるからだ。
如何な利器でも、使用に時を得なければ、却って反対の結末を、非常な不利益のみを齎す。道学者の物言いめいてしまうようだが、確かに如上の光景からは、そんな教訓を引き出せる。
なお、余談だが、どうやら三島康七は、海豹島滞在中にロッペン鳥の卵を食った。
(viprpg『闇市ってなあに』より)
とりあえず味を知りたくなるのは日本民族のもはや伝統、抗い難い天性とすらいっていい。
茹でたか、それとも焼いたのか。調理方法まで詳述してはないのだが、とにもかくにも「案外食える」、クセの強さはあるものの、十分うまいと評価可能な範囲であったとのことだ。
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