穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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人的資源本格派


 タタールのくびきが叩き込まれるより以前。キエフこそがロシア民族――スラブ人らの本拠であった。


 九、十、十一の約三世紀の期間に亙りこの街は、奴隷の国外輸出によって経済上の繁栄を得た。


 人を攫って売り飛ばすのが、彼らの主要産業・・だった。

 

 

Kyiv River Terminal P1320911 Поштова пл

Wikipediaより、キエフ河川港)

 

 

 ヴォルガ川ドニエプル川黒海等を経由して、北はスカンディナヴィア半島から南は中東、アナトリアに至るまで、実に広範な販路を持っていたらしい。


 驚くには及ばない。月の砂漠を遥々とゆくキャラバンたちにしてみても、十九世紀の終わりごろまで扱う品に「奴隷」を含めていたではないか。人の命に値をつける。同じ人間にあらずして、器物、道具、あるいは畜獣として対処する。世界中のどの地域でも、一度はそういう暗黒を潜っているものである。

 

 

Arabslavers

Wikipediaより、アラブ人の奴隷貿易キャラバン)

 


 ありがたいことに、ちょうどテオドール・ヘルマン・パンテニウスTheodor Hermann Panteniusヴォルガ川流域一帯で行われていたロシア人らの交易景色を書き残してくれている。一九〇八年刊の『ロシア史』Geschichte Russlands中にそれはもう、いきいきとした筆致で以って。


 ちょっと覗き見てみよう。なお、翻訳は嘉治隆一。東京帝大独法科出の、ジャーナリストで政客だった人物だ。

 


 ロシア人は本国からやって来てヴォルガ川に投錨する。碇泊した所に大きな木造の家を建て、十人乃至二十人宛同居する。誰も彼もが長椅子を有ってゐて、自分が売らうと思って連れて来た美しい乙女(女奴隷)をその上に坐らせる。
 河岸にはかねて先人達が人間みたいな顔をもった大きな偶像を立て、その周囲には小さいのを沢山立てておく。商人は到着するや、その前に赴いて、パン、肉、乳、菲、酒の類を犠牲に供へて云ふ。「オオ、主よ、私は遠方から遥々とこれこれの頭数の乙女を伴ひ、これこれの枚数の黒貂皮をもって参りました」と商品の数を数え上げてから、更に続けて云ふ、「どうか、私の売りたい物を全部買ひ取り、値切ったり、懸引きをしたりせずに、デナールアラビア金貨ディルゲームアラビア銀貨とを払って呉れる様な商人をお遣わし下さい」と。そして取引がうまく運ばないと何度でも犠牲が繰り返され、案外好都合に運んだ場合には牛や羊を屠り、その頭を偶像の側に立ってゐる棒杙の尖端に突きさして、肉の一部を貧乏人に分配してやり、残部を偶像に供へておく、夜中に犬が来てこの肉を食って了へば、「主は自分に慈悲を垂れ給ひ、自分の供物を嘉納あらせられた」と考へて喜ぶ。

 


 これがまあ、だいたい十世紀ごろの現実だった。

 

 

Theodor Hermann Pantenius 01

Wikipediaより、テオドール・ヘルマン・パンテニウス)

 


 以上を読んで、筆者わたしの脳の海馬あたりがなにやら妙にざわついた。


 そういえば、と符合することがあったのである。


 そういえばプロミシュレンニキも斯くの如きでなかったか、と。


 十八世紀、ベーリング探検隊の活躍により、アラスカが如何に上質な毛皮獣の宝庫であるか知れ渡って以後というもの。シベリア辺に棲息していた狩猟民らは一獲千金の欲望に燃え、眼の色変えて彼の地に渡ったものだった。


 といって、その具体的なやり方は、みずから野山に分け入って銃を撃つなどまるでせず。


 却って海岸一帯の原住民を襲撃し、その集落の女ども――もっぱら若い、妻や娘を人質にとり、おろおろしている旦那に向って、


「こいつらを無事に返して欲しけりゃ、わかっているな。何日までに何匹ぶんの毛皮を剥いで持って来い」


 頭ごなしに言いつける、とどのつまりは強制労働めいた手法を濫用したと聞き及ぶ。


 で、原住民の男どもが必死の思いで獣を追っているあいだ、ロシア人らはぬくぬくと、暖炉の傍で人質にした女どもを弄びつつ過ごすのだ。

 


 かうしてプロミシュレンニキは一冬を蛮地の後宮ハーレムで原始的な快楽に耽り、一陽来復を待って土人から毛皮を蒐める。もし毛皮の枚数が期待したよりも少ない場合は、露ほどの慈悲も加へず、土人を殺戮する。罠道具を還すと、その報酬に土人の女に頸飾を与へ、それっきりでカムチャッカに出帆する。翌年になると又違った船が来て同じやうな暴虐を逞しうしてゆく。永い間かうした苦痛を我慢して来たせゐか、生来陽気なアリューシャン土人も、流石にプロミシュレンニキに怨恨を抱くに至ったのであった。(昭和十七年、祥瑞専一著『あらすか物語』)

 

 

 


 なんという光景であったろう。


 流石に言葉を失いかける。


 シベリア抑留をやらかしたのも納得だ。


 民族性、の一文字に象徴される拭いきれない何か特徴というものは、確かに在るのではないか。そんな思考がつい兆す。

 

 

 

 

 


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