色違いは持て囃される。
みんな奇妙なのが好きだ。
明治十五年の晩夏、北海道増毛郡別苅村にて、ひとりの漁夫が白いナマコを引き揚げた。
白皮症とは独り哺乳類のみならず、棘皮動物に於いてさえ観測されるものらしい。たちまち大騒ぎになった。
抑々からして造化の神の悪ふざけにより
(Wikipediaより、ナマコ)
ただでさえわけがわからないのに、かてて加えて雪をも欺く白さとあってはもう、もはや、一周まわって神々しさすら感ぜられるに違いない。
当時の相場からいって、干しナマコの一斤が、だいたい五十銭であった。
ところがたった一匹の白いナマコが出現するや、たちまちこれに「三十円」の値が付いたから堪らない。
普通のナマコ、千匹分を遥かに超える価値がある。そのように認められたのだ。好奇心に駆り立てられた人間は、ときにまったく手に負えないことをやる。
しかしまあ、「一獲千金」の四文字は、開拓地には先ず
「あやかりてえや、俺もなあ――」
我が手のうちに白いナマコを掴まんと、そのあたりの浜辺には雲霞の如く漁民どもが押し寄せて、鵜の目鷹の目蚤取り眼のお手本みたいな形相で
(日本の漁港)
が、二匹目のどじょうなど、そうそう得られる筈もなく。
とどのつまりはくたびれ儲け、誰一人として本懐を遂げられぬまま終始した。
――ときにこの、明治十五年の北洋は、なんの因果か海獣漁の「当たり年」とも符合している。
十月十三日付けで、二隻の米国風帆漁船が横浜港に身を寄せた。
「積荷の中身は」
「毛皮だよ」
船長たちは、ほくほく顔で答えたという。
なるほど確かにその通り、二隻合わせてラッコが二十一枚に、オットセイが二千八百十五枚も載っていた。
(Wikipediaより、ラッコ)
大漁といっていいだろう。
択捉島近海を血に染め上げた成果であった。
おまけに船長の見立てによれば、負けず劣らずの荷を積んだ同業者の船舶が、これから続々入港するというではないか。
「なにぶん、今年は
(冗談じゃない)
能天気な自慢話に、日本人は戦慄を禁じ得なかった。
「早いとこ規制を設けねば。――北海道の海獣類は、そう遠からず絶滅するのではないか」
そんな議論が識者の間で交わされた。
まあ、無理からぬことである。むしろ遅すぎたくらいであろう。今も昔も、日本人は自国の資源が貪られるのにどういう
「南島北溟の遺利、たゞ外国人の収むるに任せ、自から手を空ふして傍観するの有様は、世界に国として其世界を知らざるものゝ如し」
福澤諭吉が指摘したこの「悪癖」は、悪化こそすれ、ほんの少しも改善されていないのではあるまいか。
尖閣、竹島、北方領土、赤サンゴにワタリガニ――懸念のための触媒は、うんざりするほど豊富であろう。
「…世界戦争の起るや、英国はペルシア油田の防衛と云ふ名の下に、有り余るといふほどでもない兵力を割いて、この方面に派遣した。さうしてペルシアの油田だけを防衛するのかと見て居ると、ペルシアではなくメソポタミアのバグダッドを陥れ、彼是する内ドイツとの休戦が成るや、遅れては一大事とばかり、急にバグダッドを発し、北方百マイルのモスルにまで進軍し、然してこれまた大急ぎで、軍隊に必要な施設だと称して、油田を採掘し、送油管を埋設し、精油所を新設した。『軍隊に必要なる施設』がこの程度にまで広義に解釈されるとすれば、誠に以て便利なものである」――筆に呆れを含ませて、稲原勝治は伝えたが。
貪婪飽くなき欲望を隠そうともせぬイギリス人の態度には、確かに見習うべきがある。
(英軍のバグダッド入り)
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